蛭子堂(鑁阿寺)概要: 蛭子堂の創建年は不詳で(明治時代に改築され昭和32年(1957)に現在地に移築された。元は薬師堂だったと伝えられています。)、建築は木蔵風で切妻、瓦葺き、妻入り、正面に向拝が付いています。足利義兼の正妻北条時子(北条時政の娘)を祀り、法名から智願寺殿とも呼ばれています。北条時子は義兼が鎌倉出府の際、花見に出かけ生水を飲んだところ、次第に腹が大きくなり妊婦のような姿になり、鎌倉から帰った義兼がその姿を見ると時子が不義密通したと勘違いし嫌疑をかけると、時子は「死後わが身体をあらためよ」と言って自害してしまい、死体を改めると時子の腹からは無数の蛭が出てきたそうです。この伝承から安産の神として信仰され、多くの妊婦が参拝に訪れています。鑁阿寺蛭子堂は江戸時代中期に建てられた御堂建築の遺構として貴重な事から足利市指定有形文化財に指定されています。
鑁阿寺境内
[ 太鼓橋 ] ・
[ 山門 ] ・
[ 本堂 ] ・
[ 多宝堂 ] ・
[ 経堂 ] ・
[ 不動堂 ]
[ 御霊屋 ] ・
[ 大酉堂 ]・
[ 大黒堂 ] ・
[ 蛭子堂 ] ・
[ 鐘楼 ] ・
[ 東門 ]
[ 北門 ] ・
[ 西門 ]
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