足利市(歴史)概要: 足利市は古くから足利氏の本拠として発展してきた町です。平安時代初期には藤原足利氏が5代に渡り足利城を居城としてこの地を治めていましたが平家の衰退と共に滅びました。平安時代末期、源氏の主筋であった源義家が前九年合戦、後三年合戦と東北の騒乱を収めた功により下野守に任ぜられると義家の三男義国が土着し義康の代で足利性を名乗ります。足利氏は現在の鑁阿寺の敷地に館を築き本拠とすると、足利学校の建設や多くの社寺仏閣の建立などを積極的に進め、8代目にあたる尊氏は鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府を開いています。
室町時代中期になると長尾足利氏が下野国足利庄の代官職に補任され支配力を強め山内上杉氏の家宰、後に越後上杉家に従属します。上杉謙信が死去すると後継者争いが激化、間隙を見計らい後北条氏が北関東へ急速に勢力が広大し、武田氏や佐竹氏などの大大名にも領地が接してこともあり長尾足利氏が後北条氏に従属します。
天正18年(1590)、豊臣秀吉が行った小田原の陣の際も長尾足利氏は後北条氏に従った為、主家と同様に命運を共にします。江戸時代に入ると元禄元年(1688)に本庄宗資が1万石で足利藩を立藩、さらに宝永2年(1705)には戸田忠利が1万1千石で藩主となると明治維新まで続きます。
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