下御堂跡(足利市)概要: 鎌倉時代初期の建久年間(1190〜1199年)、足利義兼が母の菩提を弔う為理人上人を招き開山した法界寺(樺崎寺)跡地で、後年、鑁阿寺の奥の院として義兼が念仏を唱えながら生活し正治元年(1199)に入寂しました。その後も鎌倉時代、室町時代と足利氏の庇護となり社領の寄進や社殿の造営など行い繁栄しましたが、戦国時代足利将軍が滅ぶと急速に衰退します。江戸時代に入ると足利氏系の唯一の大名喜連川氏が庇護し社殿の再建など行いますが当時の格式は維持できず明治時代初頭に発令された神仏分離令により法界寺は廃寺となり現在に至っています。下御堂は東向き、6.4m四方、正面に向拝の跡があり1.2mの縁が周囲を囲っていました。本尊は建久4年(1193)に三尺皆金色の大日如来像を安置していたとの記述があります。現在は樺崎八幡宮と共に平成13年(2001)に国指定史跡に指定されています。
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