医王寺(鹿沼市)概要: 東高野山弥勒院医王寺は栃木県鹿沼市北半田に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。医王寺の創建は天平元年(765)、日光を開いた事でも知られる勝道上人の霊夢に薬師如来の化身が立ち、その御告げに従い山中で薬師如来像を獲得し、御堂を設けて開山したのが始まりと伝えられています。大同4年(809)、弘法大師空海(真言宗開祖)が当地に巡錫で訪れた際、鎮護国家の道場として整備し、自ら彫刻したとされる御影像や不動明王像を安置しました。正中2年(1325)に西方遠江守烏丸貞泰(宇都宮遠江入道蓮智:武茂泰宗の子、宇都宮景綱の孫)によって再興され七堂伽藍が造営、さらに当地の領主である宇都宮氏の庇護もあり寺運も隆盛しました。
寛永11年(1634)の火災により多くの堂宇が焼失しましたがその後、講堂や客殿、大師堂などが再建され、江戸時代には朱印50石の朱印寺として繁栄を極め、大名と並ぶ格式を得て末寺6ヶ寺、門徒5ヶ寺を擁し談林寺院として多くの僧侶を受け入れました。医王寺の境内は3万坪に及ぶ広大なもので金堂(本堂)、唐門、講堂、客殿、大師堂などの諸堂が建ち並びその多くが当時の御堂建築の遺構として貴重な事から文化財指定になっています。又、寺宝も多く木造薬師如来坐像を始め木造弘法大師坐像、木造金剛力士立像、理趣経版木(3枚)、絹本著色封侯図などがあります。特に仏像は地方の寺院としては以上に多種多様で保存状態が良い事でも知られ注視されています。山号:東高野山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来三尊像(金堂)、薬師如来座像(講堂:秘仏)。
医王寺の文化財
・ 金堂−元禄年間−寄棟、茅葺、平入、五間堂、向拝付−栃木県指定重要文化財
・ 本堂内春日厨子−康応2年−弥勒菩薩坐像安置−栃木県指定重要文化財
・ 唐門−宝暦3年−入母屋、茅葺、正面唐破風、四脚門−栃木県指定重要文化財
・ 大師堂−貞享3年−入母屋、茅葺、妻入、正面向拝付−栃木県指定重要文化財
・ 客殿−貞享5年−寄棟、銅板葺、桁行13間−栃木県指定重要文化財
・ 講堂−正保2年〜元禄5年-寄棟,銅板葺,桁行12間-栃木県指定重要文化財
・ 木造薬師如来坐像−平安後期−像高90p、一木造−栃木県指定重要文化財
・ 銅造地蔵菩薩半跏像−平安時代−像高251p−栃木県指定重要文化財
・ 木造聖徳太子立像−江戸時代−像高67.5p、寄木造−栃木県指定重要文化財
・ 金銅誕生仏像−寛文5年−像高30p、台座14.5p−栃木県指定重要文化財
・ 木造弘法大師坐像−南北朝−像高85p、寄木造、檜材−栃木県指定重要文化財
・ 木造狛犬−南北朝時代−像高38p、寄木造−栃木県指定重要文化財
・ 木造金剛力士立像-鎌倉-阿形:236p・吽形:244p-栃木県指定重要文化財
・ 木造不動明王および二童子像−平安・鎌倉時代−栃木県指定重要文化財
・ 木造吉祥天立像−鎌倉−像高74.3p、寄木造、檜材−栃木県指定重要文化財
・ 木造毘沙門天立像−鎌倉−像高77p、寄木造、檜材−栃木県指定重要文化財
・ 木造薬師如来および両脇侍像−鎌倉中期−栃木県指定重要文化財
・ 木造 十一面観音菩薩立像−鎌倉−像高146p、一木造、檜材−県指定文化財
・ 木造弥勒菩薩坐像−鎌倉末期〜南北朝−栃木県指定重要文化財
・ 木造十二神将立像−江戸時代−鹿沼市指定有形文化財
・ 銅製鰐口−正長2年−栃木県指定重要文化財
・ 金銅透彫華籠(12枚)−寛文11年(1671)−栃木県指定重要文化財
・ 金銅透彫華鬘(12枚)−慶安4年(1651)−栃木県指定重要文化財
・ 金銅製五鈷杵−南北朝時代−栃木県指定重要文化財
・ 法要仏具−寛文11年(1671)−栃木県指定重要文化財
・ 理趣経版木(3枚)−室町時代初期−栃木県指定重要文化財
・ 般若心経版木−室町時代初期−栃木県指定重要文化財
・ 医王寺宝篋印塔(2基)−鎌倉時代末期−栃木県指定重要文化財
・ 医王寺五輪塔(2基)−鎌倉時代末期の前後−栃木県指定重要文化財
・ 算額−文化9年(1812)−鹿沼市指定有形文化財
・ 附法状−天正17年−鹿沼市指定有形文化財
・ 絹本著色封侯図−江戸時代−栃木県指定重要文化財
・ 黒塗椽杉板襖絵−江戸時代−栃木県指定重要文化財
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(医王寺緑地環境保全地域)-栃木県
・ 現地案内板-栃木県教育委員会
【 付近地図 】
・ 栃木県鹿沼市北半田
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