般若寺(真岡市)概要: 大前山金剛院般若寺は栃木県真岡市田町に境内を構えている天台宗の寺院です。般若寺の創建は平安時代の貞観4年(862)、慈覚大師円仁が開山したのが始まりと伝えられています。当初は大前神社の別当寺院として東叡山黒子千妙寺と関係が深く「大前山金剛院千妙寺」と称していました。その後、衰退しましたが弘範が再興し、領主芳賀氏の庇護となり寺運は隆盛、最盛期には末寺15ヵ寺を擁する大寺院となりました。天文元年(1532)、芳賀高定が現在地に境内を移し寄進した宗版「大般若経」から寺号を般若寺に改称しています。
豊臣政権下、主家である宇都宮城の城主宇都宮国綱は18万石が安堵され芳賀高継は6万石を領しましたが、慶長2年(1597)、国綱は突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある)、高継も連座し所領没収となり没落しました。般若寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると当時の真岡藩主稲葉正成の菩提寺となると稲葉家から庇護されました。正成が死去すると境内には霊廟が建立され、稲葉家の後裔が石灯篭や手水鉢、机などを寄進しています。その後、真岡藩は廃藩となり天領となりましたが稲葉正成は春日局の夫君だった事もあり般若寺は幕府から朱印寺として庇護され繁栄したそうです。
般若寺は何度も火災に合い本堂を始め霊廟や寺宝などが焼失しましたが、明治3年(1870)に本堂(入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ)が再建されています。般若寺は寺宝も多く稲葉家の持仏である薬師如来坐像(昭和39年:1964年栃木県指定重要文化財に指定:鎌倉時代製作、寄木造、像高86.3cm)を初め稲葉家縁の品々を数多く所有しています。山門は入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、薬医門。山号:大前山。院号:金剛院。宗派:天台宗。本尊:薬師如来・阿弥陀如来。関東九十一薬師霊場第59番札所(札所本尊:薬師如来)。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-真岡市
・ 石碑(般若寺と稲葉正成公の関係)
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