嘉右衛門町(日光例幣使街道)・在郷町・町並み

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写  真 備  考
嘉右衛門町(日光例幣使街道)
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【日光例幣使街道】日光例幣使街道とは徳川家康の霊廟を祀る日光東照宮に、朝廷から授けられた幣帛を奉献する勅使(日光例幣使)が利用する為に開削された街道です。日光例幣使街道の経路は中山道の倉賀野宿(群馬県高崎市)から分岐して、楡木宿(栃木県鹿沼市楡木町)で日光西街道(壬生通り)と合流、さらに今市宿(群馬県日光市)で会津西街道(下野街道)や日光街道、日光北街道などと合流して日光東照宮に至ります。日光例幣使は通常は往路は京都から中山道と日光例幣使街道を利用して日光東照宮に至り、復路は日光街道を利用して江戸に至り、江戸城で幕府への挨拶や手続きを済まし、東海道で京都に帰参してます(安永5年:1776〜天保14年:1843年は中山道を利用)。

【嘉右衛門町】−嘉右衛門町は日光例幣使街道の宿場町である栃木宿(栃木県栃木市)に隣接する街道沿いに位置し、地名の名称の由来となった岡田嘉右衛門が戦国時代に当地を開発し開村しました。貞享2年(1685)に旗本畠山氏の領地になると岡田嘉右衛門家が当地の代官に就任し屋敷内に陣屋が設けられ行政的にも領内の中心として整備されました。又、巴波川の舟運の拠点となる河岸(川湊)を擁していた事から物資の集積地として経済的に発展し、栃木宿とは異なる商圏を築き上げ多くの豪商を輩出しました。

江戸末期から明治初期には栃木宿に肩を並べる程に繁栄しましたが、明治22年(1889)に栃木町に編入になると相対的には発展しました次第に独自性が失われるようになっています。現在でも街道沿いに多くの見世蔵や町屋建築が軒を連ね、特に岡田家住宅には畠山陣屋(武家屋敷のように表門や式台付の玄関、格式の高い座敷などを備える)の遺構や表門などは町並みの景観に大きく寄与しています。巴波川に面する側は土蔵が多く、往時は河岸(川湊)から荷揚げされた物資が直接屋敷内に運びこまれ土蔵に収蔵されていた名残と思われます。栃木市嘉右衛門町は平成24年(2012)に種別「在郷町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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