鷲子山上神社

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概要・歴史・観光・見所
鷲子山上神社概要: 鷲子山上神社は栃木県那須郡那珂川町と鷲子山上神社境内に設けられた神門と石燈篭茨城県常陸大宮市の境界線上に鎮座している神社です。鷲子山上神社の創建は大同2年(807)大蔵坊宝珠上人が阿波国(徳島県)の天日鷲命を鷲子山(標高:470m)山頂付近に勧請したのが始まりと伝わっています。鷲子山上神社を創建した大蔵坊宝珠上人は馬頭町出身とされる人物ですが、延暦25年/大同元年(806)に西金砂神社(茨城県常陸太田市上宮河内町)と東金砂神社(茨城県常陸太田市天下野町)を日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請して創建した宝珠上人は比叡山の横川出身の天台沙門の僧として伝えられています。素直に読み取とると、馬頭町出身者で、出家した後に比叡山の横川で修行をし、諸国を巡錫したという事なのかも知れません。

ただし、日吉大社(滋賀県大津市坂本)が成立するのは天智天皇7年(668)であるものの、山王信仰の前身である両所三聖(大比叡神(東塔)・小比叡神(西塔)・比叡山王(横川・山王明神))が成立するのは9世紀後半以降、山王三聖が成立するのは10世紀後半である事から、全国に山王信仰が普及するのは平安時代後期以降と推定されます。これから推察すると、西金砂神社と東金砂神社の創建年は平安時代後期以降となり、同じ創建者である鷲子山上神社も同様とも考えられます。三社共に信仰の広がりなどから察すると六国史や延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されても良いはずですが、記載されていない事を鑑みても推察した通り平安時代後期以降に創建したと考えるのが妥当と思われます。

歴代領主や権力者達からも崇敬され鎌倉時代の建久8年(1197)には源頼朝が社殿修理料15貫文を寄進し、元久3年(1206)には3代将軍源実朝が頼朝に従い永銭を寄進しています。その後、鷲子山上神社の周辺を支配した武茂氏の崇敬社となり社殿の再建や社領の寄進などを行っています。

江戸時代に入ると幕府の庇護となり慶安元年(1648)に3代将軍徳川家光により社領20石の朱印状を渡し除地免税地100石を認め歴代将軍も追認しています。又、水戸藩主である徳川光圀(徳川家康の孫)が2度鷲子山上神社を参拝(境内にある伍智院では黄門さまが休息に使われた部屋が保存され、徳川家の家紋である三つ葉葵が随所に掲げられています)したとされ"鷲子山十景山中七寄(十景:海天旭日、冨士晴雪、晃山霽色、烏山城塁、鹿浦睡望、村家炊煙、野寺晩鐘、雨提暁晴、杉林初月、珂川帆景・山中七寄:社内神酒、井中石亀、禁不浄、神鳴雌雄、三穂葦、三房柿、阿良左巨)"を選定、9代藩主徳川斉昭が家臣である青山延寿に命じて碑文を草案させ、鷲子山十景七奇の碑を建立しました。

鷲子山上神社は創建当初、本宮の地(朝日嶽)に鎮座していましたが天文21年(1552)に現在地に移り、社殿を再建、その時建てられた本殿が現在の原型で天明8年(1788)の大改修を経て今日に見られるような姿になりました。鷲子山上神社は古くから神仏習合し別当寺院だった伍智院は修験道聖護院系統に属し下野国15ヶ村の修験総社として大きな影響力がありましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治5年(1872)に郷社に列しています。鷲子山上神社の祭神は天日鷲命・大己貴命・少彦名命。祭神である天日鷲命は鳥類の守護神で、その使いである「梟(フクロウ)」が神格され、フクロウ=不苦労=福来郎=福老、として信仰されています。

鷲子山上神社の文化財
鷲子山上神社本殿の建物は案内板によると「 本殿は、三間社流造り銅板葺きで鷲子山上神社参道高台から見下ろした隋神門(安養閣)、天文21年(1552)に再興されたのち、天明8年(1788)に建替えられたものである。本殿向拝の柱、頭貫の彫刻化された構成と装飾は、類例を見ない奇抜な手法である、また、身舎の彩色を施した多くの彫刻とその装飾の豊かさは、関東地方における社殿の彫刻装飾の流れを知るうえで重要である。」とあります。又、鷲子山上神社は神仏混合の形式を持っていた神社であることから神社境内でも山門(楼門:は安養閣の別称があります。)が設けられ、正面には随神像が裏側には仁王像が安置されています。

鷲子山上神社山門(随身門)の建物は案内板によると「 随神門は、三間一戸入母屋造り銅板葺きで、文化12年(1815)の再建である。一階の正面両脇の間に隋神像、背面両脇の間に仁王像を安置し、中央間には扉を設けていない。一部未完成の部分があるが、組物や軒に独自の手法が用いられるなど、社殿構成の一環として重要な建造物である。 」とあります。鷲子山上神社山門の下層部左右には享保6年(1721)に制作された仁王像と、江戸字の仏師原田左京作の随神像(左大臣・右大臣)が安置され、正面上層部には「安養閣」の扁額が掲げられています。鷲子山上神社境内が栃木県と茨城県両方の県境になっている為、鷲子山上神社本殿(附:棟札2枚 再興天文廾一年 壬子十二月三日)、隋神門は貴重な事から共に栃木県・茨城県指定重要文化財に指定されています。境内にある榧の木は推定樹齢600年、樹高約25m、幹周5.3m、県内を代表する榧の木の大木として貴重な事から茨城県指定天然記念物に指定されています。千年杉は推定樹齢千年、樹高32m、幹周6.8m、径2.2m、町内を代表する杉の大木として貴重な事から昭和62年(1987)に那珂川町指定天然記念物に指定されています。鷲子山は日本の自然百選に選定されています。

【 参考:サイト 】
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(略記)-鷲子山上神社 社務所
・ 現地案内板(本殿・随身門)-栃木県教育委員会・那珂川町教育委員会
・ 現地案内板(日本の自然百選 鷲子山)-那珂川町
・ 現地案内板(鷲子山自然環境保全地域)-茨城県

鷲子山上神社:本殿・随身門・写真

鷲子山上神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居と石造社号標
[ 付近地図: 栃木県那珂川町 ]・[ 那珂川町:歴史・観光・見所 ]
鷲子山上神社参道石畳みから見た随身門(安養閣)と石燈篭と石造狛犬 鷲子山上神社随身門(神社山門)に安置されている仁王像 鷲子山上神社参道石段から見上げた神門(楼門) 鷲子山上神社境内に生える千年杉の大木
鷲子山上神社石段の上に鎮座している拝殿と本殿 鷲子山上神社本殿と透塀 鷲子山上神社伍智院には水戸黄門が宿泊したそうです 鷲子山上神社境内にある亀井戸。亀の形をした石を鎮めたそうです


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