那珂川町: 鷲子山上神社

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鷲子山上神社
鷲子山上神社
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鷲子山上神社:概要・歴史・観光・見所
鷲子山上神社(栃木県那須郡那珂川町・茨城県常陸大宮市)概要:
鷲子山上神社の創建は大同2年(807)大蔵坊宝珠上人が阿波国(徳島県)鷲子山上神社の天日鷲命を鷲子山(標高:470m)山頂付近に勧請したのが始まりと伝わっています。歴代領主や権力者達からも崇敬され鎌倉時代の建久8年(1197)には源頼朝が社殿修理料15貫文を寄進し、元久3年(1206)には3代将軍源実朝が頼朝に従い永銭を寄進しています。その後、鷲子山上神社の周辺を支配した武茂氏の崇敬社となり社殿の再建や社領の寄進などを行っています。江戸時代に入ると幕府の庇護となり慶安元年(1648)に3代将軍徳川家光により社領20石の朱印状を渡し除地免税地100石を認め歴代将軍も追認しています。又、水戸藩主である徳川光圀(徳川家康の孫)が2度鷲子山上神社を参拝(境内にある伍智院では黄門さまが休息に使われた部屋が保存され、徳川家の家紋である三つ葉葵が随所に掲げられています)したとされ"鷲子山十景山中七寄(十景:海天旭日、冨士晴雪、晃山霽色、烏山城塁、鹿浦睡望、村家炊煙、野寺晩鐘、雨提暁晴、杉林初月、珂川帆景・山中七寄:社内神酒、井中石亀、禁不浄、神鳴雌雄、三穂葦、三房柿、阿良左巨)"を選定、9代藩主徳川斉昭が家臣である青山延寿に命じて碑文を草案させ、碑を建立しました。鷲子山上神社は創建当初、本宮の地(朝日嶽)に鎮座していましたが天文21年(1552)に現在地に移り、社殿を再建、その時建てられた本殿が現在の原型で天明8年(1788)の大改修を経て今日に見られるような姿になりました。鷲子山上神社は古くから神仏習合し別当寺院だった伍智院は修験道聖護院系統に属し下野国15ヶ村の修験総社として大きな影響力がありましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治5年(1872)に郷社に列しています。鷲子山上神社の祭神は天日鷲命・大己貴命・少彦名命。祭神である天日鷲命は鳥類の守護神で、その使いである「梟(フクロウ)」が神格され、フクロウ=不苦労=福来郎=福老、として信仰されています。

鷲子山上神社の文化財
鷲子山上神社本殿の建物は案内板によると「 本殿は、三間社流造り銅板葺きで鷲子山上神社、天文21年(1552)に再興されたのち、天明8年(1788)に建替えられたものである。本殿向拝の柱、頭貫の彫刻化された構成と装飾は、類例を見ない奇抜な手法である、また、身舎の彩色を施した多くの彫刻とその装飾の豊かさは、関東地方における社殿の彫刻装飾の流れを知るうえで重要である。」とあります。又、鷲子山上神社は神仏混合の形式を持っていた神社であることから神社境内でも山門(楼門・神社山門−安養閣の別称があります。)が設けられ、正面には随神像が裏側には仁王像が安置されています。山門の建物は案内板によると「 隋神門は、三間一戸入母屋造り銅板葺きで、文化12年(1815)の再建である。一階の正面両脇の間に隋神像、背面両脇の間に仁王像を安置し、中央間には扉を設けていない。一部未完成の部分があるが、組物や軒に独自の手法が用いられるなど、社殿構成の一環として重要な建造物である。 」とあります。鷲子山上神社境内が栃木県と茨城県両方の県境になっている為、鷲子山上神社本殿、隋神門は共に栃木県・茨城県指定重要文化財に指定されています。境内にある榧の木は推定樹齢600年、県指定天然記念物に指定されています。鷲子山は日本の自然百選に選定されています。

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