真岡市二宮町(歴史)概要: 二宮町の歴史は古く天神山古墳など多くの古墳、墳墓などが散見出来、当時から中央との繋がりが強かった地域と考えられます。中世に入ると仏教が盛んになり、嘉禄元年(1225)真岡城主大内氏の懇願により親鸞聖人が専修寺を開山し北関東の布教の中心として大きな影響を与えます。又、二宮町一帯は小山氏の子孫である長沼氏が長沼城を拠点に周辺を支配、菩提寺である宗光寺や長沼八幡神社などを庇護し建物の造営などを行っています。長沼氏は観応3年(1352)に宗家が現在の福島県南会津町に移り、さらに庶流が文明3年(1471)に堀越公方との戦いで敗れたこの地を追われます。
その後、二宮町は下館城主水谷氏の支配下に入り、江戸時代は旗本、真岡藩、下館藩、土浦藩、笠間藩、小田原藩など領地となり細分化されます。江戸時代後期になると各藩は経済的に疲弊し、特に小田原藩の飛領だった桜町領は石高が1/4程度に落ち込み二宮尊徳による農政改革が実行されました。
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