唐沢山神社(佐野市)概要: 唐沢山神社は栃木県佐野市富士町に鎮座している神社です。唐沢山神社の創建は明治13年(1880)、唐沢山城を始めて築き、平将門の乱を平定した藤原秀郷(田原藤太 俵藤太)の威徳を讃える為、子孫や関係者が秀郷を祭る神社の計画を立て明治16年(1883)に唐沢山城の跡地に御霊を勧請し社殿を建立したのが始まりです。当地を長く支配した佐野氏は藤原秀郷の後裔を自称した国人領主だった事から、その居城だった唐沢山城の本丸跡地が候補地になったと思われます。
藤原秀郷の出生は不詳ですが流罪になった後も執行されていない事から身分の高い家系出、又は本人が相当な実力者だったと推測されています。天慶2年(939)の平将門の乱の際には朝廷からの要請を受け、平貞盛と藤原為憲と共に連合軍を構成し、将門軍の掃討に尽力しています。しかし、その後の生涯は不詳で、逆に英雄伝説が全国各地に流布するようになっています。又、関東の国人領主の多くが藤原秀郷を祖に掲げ、唐沢山神社が境内を構える唐沢山城の歴代城主だった佐野氏も同様とされます。
唐沢山神社は明治23年(1890)に別格官幣社に列格し第2次世界大戦前まで続き、その後は別表神社となっています。境内は秀郷の後裔を自称する佐野氏(秀郷の後裔とされる藤原足利氏の出身の足利基綱が佐野領を与えられ佐野氏を名乗るようになった)が長い間居城としていた旧唐沢山城跡(本殿、拝殿は本丸跡、神楽殿は2の丸跡)で石垣や空堀、土塁、井戸などの遺構が散見できます。
唐沢山神社神門(神社山門)は、切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社流造、銅板葺。唐沢山神社の社宝である"避来矢(藤原秀郷が百足退治の際龍宮王から授かったとされる神甲冑、これを身に着けると決して矢に当たる事がないと伝えられています。
その後、秀郷の後裔である藤原足利氏、佐野氏と受継がれ火災によって大部分が焼失したものの兜部だけが復元され明治2年:1869年に唐沢山神社に奉納された。)"は昭和37年(1962)に国指定重要文化財に"銘守勝の脇差(室町時代末期に刀工:徳次郎出身の守勝によって製作されたもので長さ32.7cm、反り0.6cm、目くぎ穴3個)"が昭和35年(1960)に栃木県指定重要文化財にそれぞれ指定されています。又、唐沢山神社の境内を含む唐沢城の城域は平成29年(2014)3月18日に国指定史跡に指定され、藤原秀郷公墳墓(1基)は昭和42年(1967)に佐野市指定史跡に指定されています。祭神:藤原秀郷。
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