輪王寺:栃木県日光市

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【 概 要 】輪王寺は、天平神護2年(766)に勝道上人が弟子達と共に当地に修行に訪れた際、大谷川が増水し渡れないで困っていると、深沙大王の化身が出現し、2匹の大蛇石化させ橋として一行を迎え入れ、その先に紫雲棚引く場所があった事から聖地と悟り一宇を設けたのが創建とされます。当初は創建伝説に因み「紫雲立寺」と称していましたが、その後、転じて「四本龍寺」と呼ばれるようになっています。勝道上人は当寺を拠点として日光山の開発に尽力し男体山(二荒山)の登頂を果たすと、輪王寺の境内にも男体山(二荒山)を祀る二荒山神社を守護神として神護景雲元年(767)、又は延暦9年(790)に創建し神仏習合の形態を整えました。その後は一大霊場として広く知られるようになり弘法大師空海や慈覚大師円仁などの高僧も日光を訪れています。鎌倉時代に入ると幕府から庇護され、仁治年間(1240〜1242年)には3代将軍源実朝が現在の日光東照宮付近に境内を移しています。戦国時代には小田原北条氏に与した為、天正18年(1590)に豊臣秀吉により北条氏が滅ぼされると、庇護者を失い衰微しました。江戸時代に入ると、幕府の重鎮だった天海大僧正が天台宗の高僧だった事から再興され、さらに元和3年(1617)に徳川家康の廟所となる日光東照宮が造営されると現在の日光二荒山神社に境内を移し、正保4年(1647)には徳川家光の廟所である大猷院霊廟が造営されています。明暦元年(1655)に後水尾上皇から「輪王寺」の寺号を賜ると後水尾天皇の第3皇子である守澄法親王が住職となり、以後、法親王が住職を歴任する事となり、徳川将軍家と皇族の両方から庇護され寺運も隆盛しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により神仏習合していた日光東照宮と二荒山神社とは分離し、廃仏毀釈運動などにより、寺号を「満願寺」に改めさせられ、現在地に境内を移す事となっています(廃仏毀釈運動が収まった明治15年には再び輪王寺に復しています)。

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