栃木県・日本武尊:縁の社寺

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社寺・温泉:一覧

名 称
場 所
内   容
備 考
・母衣輪神社・栃木県
・足利市
・倭建命(日本武尊)が東夷東征で進軍した際、当地に駐屯しました。そこで天神地祇と祭ると共に武具(母衣)を奉納し武運長久を祈願したと伝えられています。その後の詳細は不詳ですが、当地の産土神として信仰されるようになり、特に江戸時代には中山道と日光東照宮を結ぶ日光例幣使街道が開削され、八木宿が成立すると八木宿の鎮守として住民だけでなく宿場を利用する旅人や商人も参拝しました。又、街道沿いの群馬県太田市にも母衣輪神社と同名の神社が鎮座し(現在は石祠のみ)、日本武尊が祭られていた事から信仰の広がりが感じられます。
・八雲神社・栃木県
・足利市
・伝承によると日本武尊が東威東征で当地まで進軍してきた際、出雲大社(島根県出雲市)から分霊が勧請されたのが始まりと伝えられています。
・赤城神社・栃木県
・佐野市
・赤城神社の境内は日本武尊が陣を張った場所と伝えられています。
・高椅神社・栃木県
小山市
高椅神社の由来として次のような伝承が伝えられています。景行天皇41年(111)、日本武尊が東国平定の為に当地まで進軍した際、現在の高椅神社の境内より北方約1Kmに位置する白旗丘に御旗を立て国常立尊、天鏡尊、天萬尊の三柱の神を勧請し、戦勝祈願したのが始まりと伝えられています。尊は東国平定を完遂した後に凱旋帰国の際に亡くなると、父親である景行天皇が、尊の旧跡を訪ね当地に差し掛かると、天皇に従っていた磐鹿六雁命は老齢の為にこの地に留まり尊の旧跡を守護しました。 天武天皇12年(684)、磐鹿六雁命の後裔が高橋姓を授けられ祖神である磐鹿六雁命を合祀して社号を「高椅神社」に改めています。・延喜式内社
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