大谷寺(宇都宮市)概要: 天開山千手院大谷寺は栃木県宇都宮市大谷町に境内を構えている天台宗の寺院です。大谷寺の創建は弘仁元年(810)、真言宗の開祖である弘法大師空海が自ら岩肌に千手観音像(大谷観音:磨崖仏)を彫り込み開山したと伝えられています(大谷寺が建立されている御止山は岩肌が300mも続く奇観であることから、古代から自然崇拝として信仰されていたと思われています)。鎌倉時代に入ると坂東33観音霊場の札所に選定された事で広く信仰の対象となり領主である宇都宮氏(宇都宮氏の祖、藤原宗円は大谷寺の座主との説もあります。)からも庇護され寺運は隆盛します。
大谷寺は慶長2年(1597)に当時の領主宇都宮国綱が豊臣秀吉の命で突然改易となり庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代初期の元和年間(1615〜1624年)には宇都宮藩主となった奥平忠昌が援助して伝海和尚(慈眼大師天海の弟子)が再興、堂宇、境内を再建しています(忠昌の正室で徳川家康の長女でもある亀姫が尽力したとも)。その後は歴代宇都宮藩(藩庁:宇都宮城)の藩主や諸侯などから帰依を受け宝永年間(1704〜1711年)には松平輝貞や奥平昌成などの尽力により堂宇が整備されています。又、伝海和尚の関係から天台宗に改宗し輪王寺(栃木県日光市)の末寺に定められた為、寛永寺(東京都台東区上野桜木一丁目)の法親王が日光東照宮に参拝の際には当寺を訪れるのが通例となっていました。
現在の大谷寺観音堂は江戸時代に再建されたもので、洞窟の中に入り込むように配され、入母屋、妻入り、銅板葺き、正面には唐破風を設えている格式の高いもので、内部には日本最古の磨崖仏とされる千手観音像(本尊)をはじめ釈迦三尊像(平安時代後期作−脇侍:文殊菩薩・普賢菩薩)や薬師三尊像(平安時代初期作−脇侍:日光菩薩と月光菩薩)、阿弥陀如来三尊像(鎌倉時代作−脇侍:観音菩薩・勢至菩薩)など全部で10躯の磨崖仏が刻み込まれています。磨崖仏は極めて貴重な事から名称「大谷磨崖仏」として昭和29年(1954)に国指定特別史跡、昭和36年(1961)に国指定重要文化財に指定されています。山門(仁王門)は切妻、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、「普門閣」の扁額、左右には仁王像が安置しています。
大谷寺境内一円は平成19年(2007)に名称「大谷寺・大谷石採掘場跡」として「美しい日本の歴史的風土準100選」に選定され、平成30年(2018)にタイトル「地下迷宮の秘密を探る旅 〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜」の構成要素の一つとして日本遺産に登録されています。坂東三十三観音霊場第19番札所(御詠歌:名を聞くも めぐみ大谷の 観世音 みちびきたまへ 知るも知らぬも)。下野七福神:弁財天。山号:天開山。院号:千手院。宗派:天台宗。本尊:石造千手観音菩薩立像。
大谷寺の文化財
・ 大谷磨崖仏(10躯)-平安時代-国指定特別史跡・国指定重要文化財
・ 銅鐘−元禄8年(1685)、戸室定国作−栃木県指定重要文化財
・ 銅製灯篭-享保元年(1716),戸室元蕃作-宇都宮市指定有形文化財
・ 銅製鰐口(青銅製)-寛文7年(1667)-宇都宮市指定有形文化財
大谷寺の磨崖仏
・ 石造千手観音菩薩立像-平安時代初期-像高389p
・ 石造伝釈迦如来および両脇侍像-平安時代末期-像高354p(中尊)
・ 石造伝薬師如来及び両脇侍像-平安時代-像高115p(中尊)
・ 石造伝阿弥陀如来及び両脇侍像-鎌倉時代初期-像高260p(中尊)
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