那須烏山市: 泉渓寺

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概要・歴史・観光・見所
泉渓寺(那須烏山市)概要: 泉渓寺の創建は延文5年(1360)、当時の福原城主那須資世が開基となり源翁禅師(源翁心昭:南北朝時代に活躍した僧、越後出身で国上寺:新潟県燕市で出家、その後、總持寺(現在の総持寺祖院):石川県輪島市に入り曹洞宗となります。九尾の狐が姿を変えた殺傷石を打ち砕いた逸話は有名。)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。元中2年(1385)源翁禅師は、那須野ヶ原の殺傷石(那須温泉)が悪さをし周辺住民に対して大きな被害を与えていた事を聞き及び朝廷からの勅命を受けこれを鎮めました。

殺傷石は3つに分散しそれぞれ美作国高田(岡山県真庭市勝山)、越後国高田(新潟県上越市)、安芸国高田(広島県安芸高田市)に飛んでいったそうです(その他に豊後国高田説もあります)。この功績により後小松天皇の勅願所となり大寂院の勅額を賜り、勅使門(切妻、桟瓦葺、四脚門:中央の本柱、前後に控柱、計6本で屋根を支える門形式)を建立しました。

その後、当時の烏山城主那須資房が永正11年(1514)に下境五峰山から烏山泉溪寺町(中央一丁目)に移し、延宝3年(1675)に烏山藩主板倉重種が烏山城の拡張した際に現在地に移されています。天保11年(1840)と明治5年(1872)の火災により多くの堂宇が焼失し明治6年(1873)に再建されています。宗派:曹洞宗。本尊:三尊仏。

泉渓寺の文化財
・ 泉渓寺勅使門−那須烏山市指定有形文化財
・ 勅額(大寂院)−那須烏山市指定有形文化財
・ 源翁和尚坐像−那須烏山市指定有形文化財

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板

泉渓寺:写真

泉渓寺
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