矢板市: 木幡神社

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概要・歴史・観光・見所
木幡神社(矢板市)概要: 木幡神社は栃木県矢板市木幡に鎮座している神社です。木幡神社の創建は伝承によると東国の蝦夷平定の際、坂上田村麻呂は日頃から信仰してた山城国宇治郡に鎮座する許波多神社(京都府宇治市・祭神:天忍穂耳命)で戦勝祈願を行い、蝦夷追悼の願が叶ったたならば新たに社を設ける事を約束しました。延暦年間(782〜806年)当地まで進軍した際には現在の境内背後の高台に陣を張り、平定を終え凱旋帰国する際にも同じ場所に陣を張りました。その地は四神相応の霊地で約束した社の境内には申し分ない場所だった事から許波多神社の分社である木幡神社を創建しました。

木幡神社は当初、峯村の地に鎮座していましたが平安時代初期の大同2年(807)に現在地に遷座し田村麻呂縁の赤鶴の面が奉納され特に雨乞いに御利益があるとして信仰されました。天慶3年(940)、藤原秀郷が平将門の乱(承平天慶の乱)を際、当社で戦勝祈願をし将門を討ち取ると社領1000石が寄進され、永承6年(1051)には源頼義、義家父子が前九年合戦の戦勝祈願を行い宿願である安部貞任を討ち取っています。

文治2年(1186)、当時の領主塩谷惟頼が平家追討の戦勝祈願し念願が達成すると、領内の総鎮守と定め代々の崇敬社としました。又、建久4年(1193)、源頼朝が那須野の原で狩をしていた際、愛犬が狂犬病になった為、病気快癒の祈願を行うと忽ち平癒し以後病犬除けの御利益があるとして信仰されました。

中世に木幡神社を庇護した塩谷氏の出身などは客観的な資料が無く不明な部分が多いですが、平安末期から鎌倉初期の当主で歌人、御家人でもある塩谷朝業が「氏のやしろ によみて奉り あわれみよ われもあらしになりぬべし ははちりはてしもりの木のもと」と詠っている事から当時から木幡神社を信仰していた事が窺えます。

塩谷氏は鎌倉時代以降、宇都宮家から養子を迎え宇都宮家の一族として重責を担い、豊臣政権下で何らかな問題が発生し、宇都宮家が文禄4年(1595)に改易になると当主である塩谷義綱も連座し、一族は常陸国(現在の茨城県)の佐竹氏の家臣になった為当地を離れています。

慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで佐竹氏は東西中立を選択した事により久保田藩(現在の秋田県の大部分)に移封になると塩谷氏も随行し十二所(秋田県大館市十二所)の所預となっています。木幡神社の本殿と楼門(神社山門)は塩谷氏時代に造営されたもので、社殿の規模から察しても塩谷氏はある程度財力がある国人領主だった事が窺えます。

文禄4年(1595)当時の当主塩谷義綱が改易になると、木幡神社は庇護者を失い衰退しましたが江戸時代に入ると幕府が庇護し社領200石が安堵され日光二荒山神社を相殿するなど日光東照宮栃木県日光市)とも関係を深くしています。明治時代初頭に発令された神仏分離を経て明治3年(1870)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌弊社帛料供進神社に指定されています。

現在の木幡神社本殿は室町時代中期に造営された建物で三間社流造、銅板葺、外壁は真壁造板張り、構造部朱塗り、壁面部白塗り。木幡神社楼門随身門・神社山門)は室町時代中期の建築で、一間一戸、入母屋、銅板葺き(旧茅葺)、四脚楼門、上部高欄付き、外壁は真壁造板張り、構造部朱塗り、壁面部白塗り。

木幡神社本殿、楼門は室町時代の建築の特色が見られる神社建築として大変貴重な事から昭和25年(1950)に国重要文化財に指定されています。境内に建立されている鉄灯籠は元和3年(1617)、土佐藩2代藩主山内忠義が徳川家康の一周忌に日光東照宮に寄進したもので何らかの経緯で木幡神社に移されています。祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。配神は事代主命、田心姫命、大己貴命 。

【 備 考 】−木幡神社の本社的な存在である許波多神社(こはたじんじゃ)は京都府宇治市木幡東中に鎮座する神社で、由緒によると大化元年(645)に蘇我馬子の孫とされる蘇我倉山田石川麻呂の奏上により孝徳天皇が勅命を下し中臣鎌足が社殿を造営したとされます。坂上田村麻呂が戦勝を祈願したという伝承も伝わり、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載され、天忍穂耳命を祭神とする式内社は許波多神社が唯一な事から宗廟の神として特別視されました。木幡神社が坂上田村麻呂によって創建されたのかは判りませんが、本社格である許波多神社の鎮座地の地名である「木幡」も同様である事などから関係が深かった事が窺えます。

木幡神社の文化財
・ 木幡神社本殿-室町時代中期-三間社流造,銅板葺-国指定重要文化財
・ 木幡神社楼門-室町時代中期-一間一戸,入母屋,銅板葺−国指定重要文化財
・ 木造馬頭観音菩薩坐像-室町時代-栃木県指定重要文化財
・ 神像(大国主命・味耜高彦根命・田心姫)-江戸時代-矢板市指定有形文化財
・ 鉄燈籠−元和3年(1617)-矢板市指定有形文化財
・ 陶製狛犬雌雄(1対)-推定:古瀬戸-矢板市指定有形文化財
・ 蝉錠-室町時代-山城国孝廣作,長さ2.5p,蝉の彫刻-矢板市指定有形文化財
・ 木幡神社の神號奉額-花山院筆、崎山五左衛門作-矢板市指定有形民俗文化財
・ 木幡神社の和算扁額-和算2題-矢板市指定有形民俗文化財
・ 木幡神社の太々神楽(36座)-矢板市指定無形民俗文化財
・ 木幡神社杉社叢(10本)-矢板市指定天然記念物
・ 境内一帯−2.27ヘクタール-木幡緑地環境保全地域

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(木幡緑地環境保全地域)-栃木県
・ 現地案内板-矢板市教育委員会
・ 現地案内板-木幡神社

木幡神社:本殿・楼門・写真

木幡神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居
[ 付近地図: 栃木県矢板市 ]・[ 矢板市:歴史・観光・見所 ]
木幡神社参道石段前に置かれている立派な石燈篭 木幡神社石段から見上げた格式のある神門(楼門)と玉垣 木幡神社神門(楼門)から見た静寂な境内 木幡神社石畳から見た拝殿正面と結界である石造狛犬
木幡神社社殿(拝殿・本殿)全景右斜め前方の画像 木幡神社祭神が祭られている神々しい本殿 木幡神社拝殿隔板に描かれている岩壁と植物 木幡神社鉄燈籠は土佐藩2代藩主山内忠義が寄進したもの


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