鹿沼宿

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鹿沼宿:略データ
・場 所・栃木県鹿沼市
・概 要・鹿沼郷の集落的発生時期は判りませんが、奈良時代に勝道上人が日光を開山した際、日光山を守護する為、当地に守護神である四天王を倣った松・杉・梅・紅葉の苗木をそれぞれ1本ずつ植樹したと伝えられています。

鎌倉時代初期、鎌倉幕府初代将軍源頼朝は日光山を庇護し、神領として周辺66郷を寄進した際、聖域の入口に当たる当地に「遠鳥居」が建立されています。

その後は下野国を本貫とする宇都宮氏が支配したと思われますが、鎌倉時代後期以降は、宇都宮氏、又は佐野氏の一族と思われる鹿沼氏が支配し、正応5年には鹿沼権三郎入道教阿が鹿沼城を築城し城下町として整備されています。

200年間に渡り鹿沼氏が当地を支配してきましたが、延徳3年に宇都宮忠綱が鹿沼領に侵攻し、迎え撃った鹿沼教清は討死、嗣子が居なかった事から鹿沼氏は没落しています。

その後、宇都宮忠綱の家臣である壬生綱重が当地を与えられ、坂田山に居城を築き、跡を継いだ壬生綱房が天文元年に鹿沼城に本城を遷しています。

壬生氏は戦国時代にかけて版図を拡大し一時宇都宮城を占拠する等、主家の宇都宮家を上回る勢力を持ちました。

宇都宮城を奪回された後も小田原北条氏の支援を受け、対立を続けたものの、天正18年に発生した小田原の役でも北条氏に加担した事から没落し、鹿沼城も廃城となっています。

元和2年に徳川家康が死去すると、遺言に従い、2代将軍徳川秀忠は日光に家康の御霊を奉斎する霊廟(日光東照宮)を造営、その際、物資輸送の為に壬生通りが開削され、当地が宿駅に指定され宿場町として整備されました。

元和3年に家康の御霊を久能山から日光に遷座した際に、当地に境内を構えている薬王寺に4日間逗留しています。

正保2年に日光東照宮に例幣使の派遣が定められると、例幣使街道が開削され、鹿沼宿は例幣使街道の宿場町にもなっています。

天保14年の記録によると本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋21軒、家屋751軒、男性1427人、女性1417人、町並みは南北10町18軒余りだったとされます。

現在は伝統的な町屋建築が点在するものの近代化による建て替えや道路の拡幅工事等で多くが失われつつあります。

日光例幣使街道:宿場町・再生リスト
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