高勝寺(栃木市)概要: 岩船山高勝寺は 栃木県栃木市岩舟町静に境内を構えている天台宗の寺院です。高勝寺の創建は宝亀8年(775)弘誓坊明源和尚(大山寺:鳥取県大山町の僧)が地蔵菩薩の霊夢を見てこの地(岩船山)を訪れ生身地蔵と謁見出来た事から霊地と定め開山したと伝えられています。
伝承によると弘誓坊明源和尚の霊夢に日頃から信仰していた地蔵菩薩の化身が立ち、「下野国にある岩船山の生身地蔵と会いなさい」との御告げがあったそうです。明源和尚は御告げに従い岩舟山の生地蔵を出会う為、当地まで赴いたものの、姿を見る事が出来ず宿にも困る有様でした。すると麓に設けられた小さな小屋に住んでた伊賀坊に助けられ縁日である18日と24日に生地蔵が出現する事を教えられ、縁日まで日があった事から、その間2人で村人達の仕事を助けました。縁日に岩舟山に登拝すると黄金色に輝く地蔵菩薩が出現し、見事と念願成就しました。翌年、再び岩舟山に訪れると伊賀坊が住んでいた小屋が失われ、不思議なことに村人に聞いても伊賀坊の存在自体否定しました。仕方なく一人で岩舟山に登拝すると、そこには伊賀坊によく似た地蔵が建立されていました。明源和尚は伊賀坊自身が生地蔵だったと悟り、当地に一宇を設けて高勝寺を創建したと伝えられています。
江戸時代に入ると歴代将軍に庇護され、4代将軍徳川家綱は岩船地蔵の申し子と言われ(家綱の生母、3代将軍徳川家光の側室である宝樹院:蘭又はお楽の方は現在の現栃木県栃木市大平町付近出身だった事から高勝寺を帰依し、家綱妊娠した際も安産祈願たとされます)、8代将軍徳川吉宗は堂宇の修復を行い境内を再整備しました。これを機に岩船地蔵の普及に努め「関東の高野山」、「日本三大地蔵尊(岩船山高勝寺の他に木之本地蔵院:滋賀県長浜市木之本町・猿羽根山地蔵尊:山形県舟形町)」、「日本三大子授け・子育て地蔵尊」などと称される程となりました。
高勝寺山門は享保15年(1730)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ木部朱塗り、上層部左右格子戸、高欄付、中央には「岩船山」の山号額、下層部左右には仁王像安置、蟇股極彩色、江戸時代中期の楼門建築の遺構として貴重な事から栃木県指定有形文化財に指定されています。西院の河原堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、当時の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和47年(1972)に栃木市(旧岩舟町)指定文化財に指定されています。山号:岩船山。宗派:天台宗。本尊:地蔵菩薩。
高勝寺の文化財
・ 高勝寺三重塔-寛延4年-棟梁:大山平六,高さ19m,方三間-栃木県指定文化財
・ 高勝寺山門-享保15年-入母屋,銅板葺,楼門,三間一戸-栃木県指定重要文化財
・ 高勝寺鐘楼-寛保2年-入母屋、桟瓦葺、石積袴腰-栃木県指定重要文化財
・ 西院の河原堂-入母屋、桟瓦葺、方三間、向拝付-岩舟町指定有形文化財
・ 大仏-享保9年(1724)-鋳物師:丸山善太郎毎昭作-岩舟町指定有形文化財
・ 燈籠(4基)-宝暦13年(1763)-鋳物師:丸山善太郎毎昭作-岩舟町文化財
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