唐の御所(那珂川町)概要: 唐の御所は栃木県那須郡那珂川町和見(旧馬頭町)に位置しています。唐の御所は7世紀前後に築造された横穴式古墳で、玄室と前室とで構成され玄室の大穴は高さ1.9m、幅2.4m、奥行き2.9m、前室の入口には扉を付けていた跡があり天井は屋根の切妻状加工、玄室天井も棟木風に彫り込まれ棺台も3台設けられています。
当地は那珂川東岸の凝灰岩丘陵の南斜面で周囲には姫穴、遠見穴、厩穴、水穴など20数基の横穴古墳が散在しますが唐の御所の横穴が随一の格式を持ち、さらに最も高い場所に位置しています。「唐の御所」の名称の由来となった平将門(桓武天皇5世後裔、一族の抗争から関東を掌握、朝廷にも従わなかった為、平貞盛や藤原秀郷などの討伐軍が派遣された。「平将門の乱」とも言われ日本初の獄門にされました。)の娘が隠れ住んだという伝説が残っています。
伝説によると天慶3年(940)、関東を制圧し自ら親皇を称した平将門でしたが藤原秀郷に滅ぼされると、将門に従った三島城主小高将良が当地にまで逃れ黄泉寺を建立しました。将門の娘の1人が将良を頼り黄泉寺の尼(女蔵比丘尼)となった際、既に妊娠していた事から人目を気にして古墳の横穴で子供を産みました。将門の娘である事が世間に知られるのを恐れ、唐土帝王(中国の皇帝)の后と身分を偽った事から何時しか「唐の御所」と呼ばれるようになったと伝えられています。唐の御所は大変貴重な事から昭和9年(1934)に国指定史跡に指定されています。周囲は駐車場や散策路が整備されています。
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