三島通庸紀恩碑(塩原温泉)概要: 案内板によると「 この紀恩碑は、明治17年、栃木県令三島通庸が西那須野から塩原、更に会津に通ずる今の塩原街道を開削し、その功績に感謝するために、明治33年に建てられたものである。・・・(後略) 塩原町 」とあります。三島通庸は前衛的な県令として知られ積極的に西洋技術を導入し、赴任した県には建築や土木事業で大きな功績を残しています。半ば強引な手法を取った事から住民とのトラブルも絶えず、政敵との闘争も激しいものがありました。しかし、通庸が計画したインフラ整備は地域の経済活動を活発化させ、住民達の生活の向上にも大きく寄与しています。福島県令時代には那須野ヶ原の開墾に力を入れ、その一環で計画された塩原街道(三島〜古町:19.4キロ)は自ら陣頭指揮を取り、塩原温泉の湯治客も江戸時代の6千人余りが明治30年代には3万人を越えるなど人や物資の移動が活性化しました。又、明治36年(1903)には別荘を皇室に献上し、それが発展し塩原御用邸となり塩原温泉の名声をおおいに高めました。
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