野立岩(塩原温泉)概要: 案内板によると「 慶長5年今から約377年前徳川家康東征の先陣を承わり蒲生秀行が東会津街道(現在の塩原街道)を進軍のさい塩原に泊る宿もなくこの岩の上で野宿し、一夜を明かし野立(身分の高い人が野外で休むこと)したところから、野立岩といわれている。 塩原町観光課 」とあります。慶長5年(1600)、家康が東征とは関が原の戦いの原因の1つとなった会津若松城(福島県会津若松市)を居城とした上杉景勝討伐の事だろうか?一般的には現在の栃木県小山市附近で、石田三成の挙兵の報を聞き、一転して西上した事になっています。蒲生秀行は織田信長の家臣で豊臣秀吉に逸早く従属し会津領92万石を領した蒲生氏郷の嫡男で、当初は氏郷の遺領を継ぎましたが御家騒動(諸説あり)により宇都宮城(栃木県宇都宮市)18万石に移されていました。関ヶ原の戦いの際は東軍に付き、上杉軍の西上を牽制する為に宇都宮城で待機が命じられています。だとしたら、この野立岩で野立したのはいったい誰なのでしょうか?氏郷は関ヶ原の戦いの功で60万石に加増され会津領に復権したところから、会津に戻る際にこの野立岩附近を通過したのかも知れません。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-塩原町観光課
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