宇都宮城(別名:亀ヶ岡城)

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概要・歴史・観光・見所
宇都宮城(別名:亀ヶ岡城)概要: 宇都宮城の築城は天慶3年(940)、藤原秀郷が築いたと伝えられています。平安時代後期、奥州の豪族安倍氏の反乱である前九年合戦で源頼義・義家に従い功のあった藤原宗円が下野国が与えられ改めて城郭の大幅な改修を行いました(宗円が宇都宮城を始めて築いたとも)。宗円は地名から宇都宮氏を名乗り、2代宗綱の代に周辺の豪族を支配下に入れ宇都宮家を確立し基盤が整えられました。その後も3代朝綱は「関東一の弓取り」と呼ばれ、5代頼綱は奥州征伐、8代貞綱は元寇で功があり北関東の名門として、宇都宮城も約530年間にわたり居城として繁栄しました。戦国時代に入ると親戚筋の佐竹氏と共に小田原北条家の北進を拒み天正18年(1590)には小田原参陣を果たし豊臣秀吉から本領18万石が安堵されました。慶長2年(1597)、宇都宮国綱は突然改易となり、慶長3年(1598)からは蒲生秀行が18万石で入封、江戸時代に入った慶長6年(1601)からは奥平家昌が10万石、元和5年(1619)からは本多正純が15万5千石で入封します。正純は宇都宮城の大改修を手掛け、1キロ四方に及ぶ外堀を主に4重の掘りを開削し、馬出しや石垣の新設など現在の宇都宮市中心部の基礎となる町割りを建設しています。

特に宇都宮の地は奥州の外様大名を抑える軍事的要地でさらに将軍家が日光東照宮の参拝時の休息や宿泊に利用された為、重要視されました。元和8年(1622)、幕府の権力争いに敗れた正純は11か条の罪状嫌疑(宇都宮城釣天井事件)を突きつけられ、本荘城(秋田県由利本荘市)5万5千石へ転封を命じられたが拒否、これを理由に改易となりました。その後、正純は大沢郷宿(秋田県大仙市)へ捨扶持1000石となり、さらに久保田藩主佐竹氏預かりとなり横手(秋田県横手市)に幽閉され寛永14年(1637)に最期を閉じます。

その後、宇都宮藩には奥平忠昌が11万石で入封、寛文8年(1668)に松平忠弘が15万石で入封、天和元年(1681)に本多忠平が11万石で入封、貞享2年(1685)に奥平昌章が9万石で入封、元禄10年(1697)に阿部正邦が10万石で入封、宝永7年(1710)に戸田忠真が7万石で入封、寛延2年(1749)に松平忠祇が6万6千石で入封と江戸時代中期まで短期間で城主が交代しています。安永3年(1773)に戸田氏が7万7千石で入封すると明治維新まで戸田氏が7代藩主を歴任しようやく安定した藩政が行われるようになりました。戊辰戦争では宇都宮城周辺は激戦地の1つとなり戦火によって建物の多くは焼失し、後に廃城となります。現在、宇都宮城本丸は公園(宇都宮城址公園)として整備されています。

宇都宮城:写真

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