藤原秀郷の伝説(栃木県:編)

栃木県:歴史・観光・見所(ホーム)>藤原秀郷

伝説:一覧

名 称
場 所
内   容
・藤原秀郷公墳墓・栃木県
・佐野市
・伝承によると秀郷が天暦2年(991)に死去すると、東明寺の境内に葬られたと伝えられています。その後、東明寺が廃寺となった為、宝永2年(1705)に田原八幡宮が勧請されています。
唐澤山神社・栃木県
・佐野市
・明治時代、藤原秀郷の後裔である佐野氏とその家臣達が祖先の遺徳を偲び秀郷を祭神とする唐澤山神社を創建しました。
唐沢山城・栃木県
・佐野市
・伝承によると、唐沢山城は延長年間(923〜931年)に藤原秀郷によって築かれたと伝えられています。中世以降から江戸時代初期までは後裔とされる佐野氏が居城として拡張、整備が行われています。
・雀宮神社・栃木県
・佐野市
・伝承によると、藤原秀郷が朱雀天皇(第61代天皇)を信仰した事から御霊を勧請し創建されたと伝えられています。
・涅槃寺・栃木県
・佐野市
・伝承によると承平2年(932)、藤原秀郷が不断念仏の霊場として下野国佐野荘青柳に開かれたのが始まりと伝えられています。
・赤坂鹿島神社・栃木県
・佐野市
・伝承によると天慶6年(943)、藤原秀郷が平将門追討を命じられると、密かに鹿島大神(茨城県鹿嶋市宮中:鹿島神宮の祭神)に戦勝祈願を行い、見事念願成就すると神意に感謝し分霊を天明山鹿沢城内の藤ヶ崎に勧請したのが始まりと伝えられています。
惣宗寺・栃木県
・佐野市
・伝承によると天慶7年(944)、藤原秀郷が開基となり朝日岡(佐野城の跡地)に境内を構えたのが始まりと伝えられています。
出流原弁天・栃木県
・佐野市
・伝承によると天暦2年(948)、藤原秀郷によって出流原弁天池を見下ろす高台に勧請されたのが始まりと伝えられています。
一瓶塚稲荷神社・栃木県
・佐野市
・伝承によると天慶5年(942)、藤原秀郷が鎌倉松ヶ岡稲荷大明神を参拝した際、感化を受け分霊を下野国富士村に勧請したのが始まりと伝えられています。
願成寺・栃木県
・佐野市
・伝承によると天慶元年(938)、藤原秀郷が現在地に境内を遷し再興したと伝えられています。
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名 称
場 所
内   容
八坂神社・栃木県
・栃木市
・伝承によると承平6年(936)、藤原秀郷が「平将門の乱」を平定する際に戦勝祈願を行ったと伝えられています。
・八坂神社・栃木県
・栃木市
・伝承によると天慶3年(940)、藤原秀郷が「平将門の乱」を平定する際に児玉郷祇園原に勧請したのが始まりと伝えられています。
・如意輪寺・栃木県
・栃木市
・伝承によると天慶元年(938)、藤原秀郷が開基となり摩尼珠山釈迦尊寺を号したのが始まりと伝えられています。その際、当地に縁があった親王の御霊に平将門調伏の祈願が行われ、真弓と蔵井の庄園を寄進したとされます。
・晃石神社・栃木県
・栃木市
・伝承によると、藤原秀郷が将門追討の戦勝祈願を行い、承平年間(931〜938年)には社殿の再建が行われています。
清水寺・栃木県
・栃木市
・伝承によると天慶10年(947)、藤原秀郷が無事に将門平定出来た事に感謝し堂宇の造営を行ったと伝えられています。
・六所神社・栃木県
・栃木市
・詳細は不詳ですが藤原秀郷が勧請したとも云われています。南方には承平2年(932)に平将門が築いたとされる花岡館(藤岡城)の跡地があります。
・高島神社・栃木県
・栃木市
・伝承によると天慶2年(939)、藤原秀郷が平将門の乱を平定するにあたり鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の分霊を勧請し武運長久の祈願を行ったと伝えられています。
・諏訪神社・栃木県
・栃木市
・伝承によると天慶2年(939)、藤原秀郷が平将門追討の為、諏訪大神(信濃国一宮諏訪大社の祭神)に戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から神意の感謝し磯山の山頂に分霊を勧請したと伝えられています。
村檜神社・栃木県
・栃木市
・伝承によると村檜神社は唐沢山城の鬼門鎮守として藤原秀郷が篤く庇護し、天慶2年(939)には平将門の乱の戦勝祈願が行われ社領70貫文と弓が寄進されたと伝えられています。
二荒山神社・栃木県
・宇都宮市
・伝承によると、藤原秀郷が「平将門の乱」を平定の戦勝祈願を行い、その際に授かった霊剣で見事平将門を討ち取ったと伝えられています。
宇都宮城・栃木県
・宇都宮市
・詳細は不詳ですが、宇都宮城は平安時代に藤原秀郷が初めて築城したとの説があります。
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名 称
場 所
内   容
・八雲神社・栃木県
・足利市
・伝承によると平将門が叛乱を起こし藤原秀郷に追討の命が下ると八雲神社で戦勝祈願を行ったと伝えられています。
鶏足寺・栃木県
・足利市
・伝承によると天慶2年(939)、藤原秀郷が平将門追討の戦勝祈願を行いました。その際、将門の土人形を使い調伏の修法を行うと土人形を踏みつけるように鶏の足跡が3か所付いていました。結果、秀郷の大勝利となった事から寺号を鶏足寺に改めたと伝えられています。
・大手神社・栃木県
・足利市
・五十部町
・伝承によると天慶の乱の際、藤原秀郷が平将門を討ち取ると、五体がバラバラとなり飛散しました。その内、将門の「手」が当地に飛来し祭ったのが大手神社の始まりと伝えられています
・間々田八幡宮・栃木県
・小山市
・伝承によると天慶2年(939)、藤原秀郷が平将門追討の戦勝祈願を行い、念願成就すると神饌御料として供田が寄進されたと伝えられています。
須賀神社・栃木県
・小山市
・伝承によると天慶3年(940)、藤原秀郷が小山市中久喜に勧請したのが始まりと伝えられています。
安房神社・栃木県
・小山市
・伝承によると天慶2年(939)、藤原秀郷が平将門平定の戦勝祈願を行い、念願成就すると社領を寄進したと伝えられています。
・現声寺・栃木県
・小山市
・伝承によると天慶年間(938〜947年)、藤原秀郷が開基となり開かれたのが始まりと伝えられています。
大川島神社・栃木県
・小山市
・伝承によると天慶3年(940)、藤原秀郷が小山庄、中泉庄、西御庄の惣社として勧請したのが始まりと伝えられています。
・河原田神社・栃木県
・小山市
・伝承によると天慶年間(938〜947年)、藤原秀郷が天御中主~國常立命の分霊を勧請し平将門追討の戦勝祈願を行い、念願成就すると天暦10年(947)に社殿の造営が行われたとされます。
小山城・栃木県
・小山市
・詳細は不詳ですが小山城(祇園城)は藤原秀郷が平安時代に築かれたという説があります。
・日吉神社・栃木県
・鹿沼市
・伝承によると天慶3年(940)、藤原秀郷が日吉大社(滋賀県大津市坂本)に天慶の乱平定の戦勝祈願を行い、念願成就すると神意に感謝し分霊を南摩、板荷、西鹿沼、池ノ森、古賀志、沼和田、皆川の7カ所に勧請したと伝えられています。
・押原神社・栃木県
・鹿沼市
・伝承によると天慶2年(939)、藤原秀郷が当社で天慶の乱平定の戦勝祈願を行い、念願成就すると神意に感謝し弓箭鏡剣(弓・矢・鏡・剣)等を奉納したと伝えられています。
木幡神社・栃木県
・矢板市
・伝承によると天慶3年(940)、藤原秀郷が承平天慶の乱の戦勝祈願を行い、見事念願成就すると神意に感謝し社領1000石が寄進されたと伝えられています。
長栄寺・栃木県
・真岡市
・伝承によると藤原秀郷が長栄寺で天慶の乱平定の戦勝祈願を行い、念願成就すると祈願所として篤く庇護したと伝えられています。
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