一瓶塚稲荷神社

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概要・歴史・観光・見所
一瓶塚稲荷神社(佐野市)概要: 一瓶塚稲荷神社は栃木県佐野市田沼町に鎮座している神社です。一瓶塚稲荷神社の創建は平安時代中期の天慶5年(942)藤原秀郷(田原藤太 俵藤太)が鎌倉松岡稲荷大明神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。本宮である松岡稲荷と武蔵国烏森、武蔵国王子、上野国新福院と共に関東五社稲荷と称し広く信仰を広め特に、藤原秀郷の子孫の一部が佐野氏を名乗り秀郷縁の当社を崇敬しました。

当初は犬伏町富士に鎮座していましたが鎌倉時代初期の文治年間(1185〜1190年)に当時の当主佐野成俊が現在地に遷座し社殿の造営と社領の寄進を行いました。以来、佐野家が慶長19年(1614)に突然改易となり信州松本(現在の長野県松本市)へ配流されまでは社運は隆盛し佐野領の総鎮守として信仰されました。江戸時代に入ると館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)が崇敬庇護し例祭には代参を遣わし領内鎮護の祈願を行っています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て郷社に列しています。

一瓶塚稲荷神社境内にある銅製鳥居は延享3年(1746)に鋳物師、丸山善太郎が制作したもので国指定重要美術品に指定されています。本殿は寛政3年(1791)の火災後に再建したもので、一間社流造、銅瓦棒葺、桁行2.43m、梁間4.24m、外壁は朱色に塗られ建物全体が精巧な彫刻が施されています。拝殿と幣殿は天保5年(1834)の火災後に再建されたもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行8.19m、梁間4.55m、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り。

幣殿は銅板葺、桁行4.55m、梁間7.28m、棟梁は片柳定保、彫刻は磯部義左衛門・義平。一瓶塚稲荷神社本殿、拝殿、幣殿が繋がりあった権現造で当時の神社社殿建築の遺構として貴重なことから平成3年(1991)に佐野市指定有形文化財に指定されています(※一瓶塚稲荷神社本殿は平成5年:1993年に栃木県指定有形文化財に指定されています)。

境内にある蜀山人歌碑(高さ168cm、幅100cm、厚さ80cm、平成6年:1994年佐野市指定有形文化財に指定)は文政5年(1822)、大串長平衛(豪商)によって建立されたもので歌碑には師匠であった蜀山人を一瓶塚稲荷神社に招いて行われた狂歌の会で歌われた歌が刻まれています(「花 みついつつひともし初し稲荷山 さかゆくころは花ひろがるる 狂歌堂」・「月 かくばかりめでたくみゆる世の中を うらやましくやのぞく月かげ 蜀山人」・「雪 うれしさをはるにつつまむやどいりし 坊主合羽の雪のゆふぐれ 六樹園」・「美興 さかせたく思う柳の枝にきて なつ鶯の声も花なる 赤顔亭」)。一瓶塚稲荷神社の祭神は豊受姫大神、猿田彦大神、大宮能賣大神、久々能智大神、草野姫大神。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-佐野市教育委員会

一瓶塚稲荷神社:本殿・幣殿・拝殿・写真

一瓶塚稲荷神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居と石造社号標
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一瓶塚稲荷神社参道石畳みから見た立派な銅製鳥居と石燈篭 一瓶塚稲荷神社拝殿正面と神域を守る石造狛狐 一瓶塚稲荷神社本殿と幣殿と透塀 一瓶塚稲荷神社境内に建立されている蜀山人歌碑


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