佐野市: 朝日森天満宮

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概要・歴史・観光・見所
朝日森天満宮(佐野市)概要: 朝日森天満宮は栃木県佐野市天神町に鎮座している神社です。朝日森天満宮の創建は治安3年(1023)に足利家綱(藤原秀郷7代後裔)が左遷先だった九州の天満宮の分霊を唐沢山城の城中(天神沢)に勧請したのが始まりと伝えられています。伝承によると家綱は無実の罪で大宰府に流されたとされ、そこで太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に祈願したところ、無実が晴れ旧領復帰となり、感謝の意から天満宮の分霊を勧請したそうです。又、家綱は当時の日本を代表する怪力の持ち主と云われ、朝鮮半島から派遣された力士と、国家の威信をかけた力比べを行い見事勝利した事から、往時は力士が当地方に巡業した際は必ず参拝したと伝えられています。その後、足利氏の後裔が地名を因み姓を佐野氏に改称しましたが朝日森天満宮は代々の崇敬社として庇護され社運も隆盛しました。

慶長7年(1602)に当時の領主佐野信吉が山城廃止令(所説有り)により唐沢山城が廃城となり、新たに春日岡城(佐野城)を春日岡に築城する際、城の鎮守社とする為、現在地に遷座し社殿を造営しました。しかし、慶長19年(1614)に藩主である佐野信吉が突然改易、松本藩(現在の長野県松本市、佐野家は後に旗本として再興。)へ配流となり庇護者を失いましたが、その後、朝日森天満宮は幕府が庇護し寛永3年(1626)には2代将軍徳川秀忠が社領10石を安堵しています。

寛永10年(1633)に佐野市堀米町周辺が彦根藩(滋賀県彦根市)の飛び地になった事を受け以後は彦根藩主井伊家の崇敬社となり嘉永6年(1853)には当時の大老職にあった井伊直弼も日光東照宮栃木県日光市)参拝の際、領内視察が行われ朝日森天満宮にも参拝に訪れています。又、朝日森天満宮は日光例幣使の小休所としても利用され諸公卿による色紙短冊などが数多く奉納、佐野かるたにも「梅の天神朝日森」と詠われ、「ふるさと佐野100選」に選定されています。明治時代に入り朝日森神社に社号を改称し明治5年(1872)に郷社、昭和14年(1939)に県社に列しています。祭神は菅原道真、配神は豊受姫命、火産霊命。

朝日森天満宮神門(神社山門)は唐門、本瓦葺、一間一戸、懸魚には鳳凰の精緻な彫刻。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、正面3間向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社流造、銅板葺。境内にある「菅神廟碑」は天明7年(1787)に須藤茂永(碑字を担当した須藤温の子供)が建立されたもので高さ163cm、幅64cm、伊豆青石製、選文は伊豆出身の東里中根若思、篆額は正二位行大納言菅原朝臣在家。菅神廟碑は江戸時代中期に建てられた信仰碑として貴重なことから昭和34年(1959)に佐野市指定文化財(歴史資料)に指定されています。

朝日森天満宮:写真

朝日森天満宮境内正面に設けられた大鳥居
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朝日森天満宮参道に設けられた神門と石燈篭 朝日森天満宮神門から見た境内 朝日森天満宮石畳みから見た拝殿正面と木製燈篭 朝日森天満宮本殿と幣殿と透塀
朝日森天満宮境内全景 朝日森天満宮神楽殿とその奥に見える神輿庫 朝日森天満宮に安置されている天神様のなで牛 朝日森天満宮境内に建立されている菅神廟碑


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