佐野市(歴史)概要: 佐野市の歴史は古く、平将門の乱を平定した功で鎮守府将軍に任ぜられた藤原秀郷が天慶5年(942)に唐沢山城を築いています。子孫は佐野氏を名を改め鎌倉幕府の御家人として存続し小領主ながら戦国時代を乗り切り、豊臣政権下で3万9000石の所領が安堵されました。関が原の合戦では東軍である徳川家に組しましたが加増がなく慶長19年(1614)に突然改易となり松本へ配流されました(後に旗本として再興しました。)。その後は天領となっていましたが貞享元年(1684)堀田正高(大老堀田正俊の次男)が1万石で改めて佐野藩を立藩します。
元禄11年(1698)に近江堅田に配置転換の為廃藩となりますが文政9年(1826)に堀田正敦が1万6千石で佐野に戻り、再び佐野藩を立藩し明治維新を迎えます。又、佐野市中心部は正保4年(1647)に開削された日光例弊使街道の宿場町としても知られ、人々の往来が多くなると主産業だった綿ちぢみや鋳物が急速に全国で知れ渡るようになりました。特に鋳物は"天明鋳物"と呼ばれ「西の芦屋・東の天明」と称されるなど当時の全国的なブランドとなりました。
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