さくら市氏家町(歴史)概要: 氏家町中心部は鎌倉時代初期に宇都宮朝綱の三男公頼が御前城を築き周辺を統治したことから始まります。公頼は地名から氏家氏を称するようになり周辺24郷を支配しさらに建久年間(1190〜1199年)に勝山城を築いて居城を移しました。鎌倉時代末期、氏家氏は越中の地頭として移封されれると、宇都宮氏の重臣である芳賀氏がこの地を治め慶長2年(1597)に宇都宮氏が改易になるまで続きます。
江戸時代に入って奥州街道が開削されると氏家宿が開かれ、正保2年(1645)には奥州街道の脇街道で白河(福島県白河市)と阿久津河岸を結ぶ原方街道、元禄8年(1695)には会津若松城下(福島県会津若松市)と氏家宿を結ぶ会津中街道がそれぞれ整備されます。又、鬼怒川舟運の河港としても多くの物資の集積が行われ本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠屋35軒の他多くの商店が建ち並んでいました。現在は町並みも近代化されましたが瀧澤家住宅や仙禽酒造、今宮神社など所々に当時の繁栄を見ることが出来ます。
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