栃木市(歴史)概要: 栃木市の中心部は天正19年(1591)に皆川広照が栃木城を築城、城下町を形成した時から始まります(皆川氏は小山城の城主小山五郎宗政の孫の長沼宗員が皆川荘を支配し皆川性を名乗りましたが元弘3年(1333)に時の執権に背き断絶となります。その後、一族である長沼氏が一端、現在の福島県南会津町附近に移り永享年間(1429〜1441年)に再度、皆川の地に戻り皆川性を復活させています)。
皆川広照は徳川家康に通じ当初小田原の役では北条側で行動を共にしますが家康に投降したとの理由で1万3千石の所領が安堵され、関ヶ原の戦いでは東軍に組し信任を得ると松平忠輝(家康の6男)の補佐役となり信濃飯山7万5千石を与えられました。しかし、慶長14年(1609年)広照は突然改易(改易の理由は諸説あり。後に許され石岡藩1万石と大名に復帰しました。)となり栃木藩も廃藩となります。
その後、栃木市内の領域は細分化され宝永2年(1705)からは足利藩に属し、北部は天保13年(1842)から吹上藩が1万石で立藩し明治維新を迎えます。
又、栃木市中心部は日光例幣使街道の宿場町や巴波川舟運の河港として栄え商人町として発展し、明治初頭には栃木県の中心部として県庁が設置されました。現在も栃木市には多くの蔵造りの建物や洋風建築が数多く残り小京都や小江戸などと呼ばれ古い町並みを見ることが出来ます。
特に嘉右衛門町周辺は古民家が密集し良好な町並みが残されている事から名称「栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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