岡田家住宅(畠山陣屋)概要: 岡田家は元々は関東管領上杉氏に仕える武家でしたが主家が衰退した為帰農し、慶長年間(1596〜1615)にこの地に土着、周囲を開墾し当主の名前である嘉右衛門(新田)が土地の名称となりました。江戸時代に入り朝廷の勅使が日光東照宮(栃木県日光市)に幣帛を奉献する為に利用した日光例幣使街道(倉賀野宿〜今市宿)が開削されると当地は栃木宿(宿場町)が設置され岡田家はその本陣職を担いました。
元禄元年(1688)に畠山基玄(畠山家は足利家の血筋で高家として優遇されました。)が総高5千石(下野国都賀郡内には13ヶ村4千4百石程)で領主となると屋敷内に陣屋を設け岡田家が代官職を代行しました。
現在でも陣屋で使用された代官屋敷門(切妻、桟瓦葺、桁行3間、梁間2間、潜戸付)や玄関(入母屋、桟瓦葺、式台付)、通用門(銅板葺、唐門風)などが残り内部は岡田記念館(代官としての古文書や資料、本陣として多くの著名人や文人墨客などの縁の品々が展示)として一般公開されています。又、周辺は古民家が密集し良好な町並みが残されている事から名称「栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
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