栃木市: 県庁堀

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概要・歴史・観光・見所
県庁堀(栃木市)概要: 明治4年(1871)、廃藩置県が施行されると下野国県庁堀(栃木市)では宇都宮県と栃木県が立県、江戸時代には300弱の藩が存在していましたが75府県に纏められました。これでも、行政区域としてはまだまだ多く、各県の均衡が取れなかったっ為、さらに統廃合が続けられ、当地では明治6年(1873)宇都宮県と栃木県が併合し改めて栃木県が立県しました。県庁の設置場所は栃木町に定められ敷地を取り囲むように幅約6mの掘を東西約246m、南北約315mの矩形に廻らし、さらに、巴波川との間を開削することで敷地内でも舟の荷揚げ場が行われるような工夫が施されました。この様な県庁は他県では見られない極めて珍しいものでしたが明治17年(1884)当時の県令三島通康は、強引に県庁を宇都宮に移し、県都としての栃木町の歴史は閉じました。何故、宇都宮に県都が移されたのかは不詳ですが、当時の栃木町は自由民権運動の盛んな地域で、それを避ける為に移転したとも云われています。三島通康は優秀な官僚だったと共に強引な手法を取っていた人物としても知られ、酒田県令や山形県令時代から大型公共事業を遂行し、予算不足に陥ると増税や強制労働、寄付の強要などを行い、反対者にはさらなる処罰を与えました。これらの行為は自由民権運動の理念と真っ向から対立し度々事件まで発展し明治17年(1884)には自由民権運動家が三島を暗殺(未遂)を謀る加波山事件も起こっています。県庁跡地は現在、栃木市役所別館(旧栃木町役場庁舎:大正10年:1921年竣工、国登録有形文化財)、栃木県立栃木高校校庭、栃木市立第二小学校校庭の敷地になっていますが県庁堀附漕渠部分は当時の形状がそのまま残り、歴史的価値も高い事から平成8年(1996)に栃木県指定史跡に指定されています。

県庁堀:写真

県庁堀
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