宇都宮市(歴史)概要: 宇都宮市の歴史は古く下野国の国造孫奈良別王が祖神である豊城入彦命を荒尾崎に勧請し二荒山神社を創建、貞和5年(838)に現在地に遷座され門前町として発展しました。天慶3年(940)には藤原秀郷が宇都宮城を築いたとされ、前九年合戦以降は功により藤原宗円(宇都宮氏の祖)が下野国の領主となり、宗綱の代で下野守護職として下野、常陸の領主となり以後530年間宇都宮氏の城下町として繁栄しました。
戦国時代末期、小田原参陣を果たし所領が安堵されましたが、慶長2年(1597)突然改易され、慶長3年(1598)からは蒲生氏、慶長6年(1601)からは奥平氏、元和5年(1619)からは本多正純が15万石で入封します。正純は宇都宮城の大改修や現在の宇都宮市中心部の基礎となる町割りを建設しています。しかし、正純は元和8年に権力争いから11か条の罪状嫌疑を突きつけられ、佐竹氏預かりとなり横手城(秋田県横手市)に幽閉され最期を閉じます。宇都宮は江戸に近い事もあり正純以降も譜代大名が歴任し、江戸時代中期まで短期間で何度も藩主が交代しています。
安永3年(1773)に戸田氏が7万7千石で入封すると明治維新まで戸田氏が宇都宮藩主を歴任しようやく安定した藩政が行われるようになりました。又、江戸と日光東照宮とを結ぶ日光街道と奥州街道の宿場町でもあり、往来も多く経済的にも周辺の中心的な役割を持ちました。戊辰戦争では戦火によって大きな被害を受け明治維新を迎えます。又、宇都宮市中心部は奥州街道と日光街道の分岐点として知られ、多くの人の往来や物資の集積が行われ「小江戸」と呼ばれるほど繁栄しました。
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