壬生町(歴史)概要: 壬生町の歴史は古く町内全域に愛宕塚古墳、牛塚古墳、吾妻古墳、車塚古墳などの大型古墳が点在し中央との繋がりを感じさせます。又、慈覚大師円仁の生誕地としても知られ壬生寺境内には「大師産湯の井戸」などの史跡が残っています。中世に入ると小槻胤業(京都の公卿)が土着し壬生氏の祖となり周辺を支配し、壬生城、鹿沼城を中心に領土を広げ、戦国時代末期には北条氏へ従属するものの24万石を領する大名へと成長していきました。
天正18年(1590)、小田原の陣に際し壬生氏は北条氏に組みした為、領地を取り上げられ本家筋は滅亡すると、壬生領には日根野氏、阿倍氏、三浦氏、松平氏、加藤氏と短期間に城主が替わり、正徳2年(1712)に鳥居忠英が3万石で藩主になってからは藩政も安定し、明治維新まで鳥居氏7代の居城として存続しました。
壬生町は江戸時代壬生藩の藩都として政治の中心でありましたが、日光西街道(壬生街道、壬生通りなどの別称があります。)の宿場町(壬生宿)や黒川舟運の河港として商業的にも発展し城下町には多くの物資が集積し市場町として機能も果たしていました。戊辰戦争時には勤王派と保守派に分かれて大きく対立しましたが結局新政府側に付き明治維新を迎えます。
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