壬生宿(日光西街道)・宿場町・町並み

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壬生宿(日光西街道)
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【日光西街道】日光西街道は壬生宿を通過する事から「壬生通り」の別称があり、経路は日光街道奥州街道)の小山宿(栃木県小山市)から分岐して楡木宿(栃木県鹿沼市楡木町)で日光例幣使街道に合流、さらにさらに今市宿(群馬県日光市)で会津西街道(下野街道)や日光街道、日光北街道などと合流して日光山内(日光東照宮二荒山神社輪王寺輪王寺大猷院廟など世界遺産)に至る街道です。日光街道よりも2里ほど近道である事から一般の旅人や商人の物資運搬には便が良かったとされます。

【壬生宿】−壬生宿(栃木県壬生町)は日光西街道の宿場町で、別称である「壬生道」は当地を通過する事に起因しています。集落の発生起源は不詳ですが、文明年間(1469〜1489年)に壬生氏第2代綱重によって壬生城が築かれている事から少なくともこれを前後に城下町として整備されたと思われます。壬生氏は室町時代の京都の官人である壬生胤業が当地に土着したのが始まりで、戦国時代には当地域を掌握し、宇都宮家に従いました。宇都宮家の有力家臣として度々当主に干渉するようになり、その後、小田原北条家に従い独立を画策しましたが、天正18年(1590)の小田原役で北条方として小田原城に立て籠もった為、北条家が滅亡するとそれに伴い没落しています。江戸時代に入った慶長7年(1602)、信濃国高島藩(長野県諏訪市)から日根野吉明が1万9百石で当地に入封し壬生藩を立藩、壬生城には藩庁、藩主居館が設けられ、城下町は藩都として整備されました。

日光西街道(壬生道)が開削されると宿場町としても整備され、宿場内には本陣や脇本陣が設置され旅籠の営業を許可され、慶安4年(1651)に3代将軍徳川家光が死去し遺骸が日光に運ばれる際には当街道を利用し壬生の「興光寺」で仮通夜が行われています。。壬生宿の中では松本一族が大きな影響力があったようで、本陣、脇本陣共に松本姓を掲げ、現在でも両家の表門の遺構が残り当時の繁栄の一端を窺う事が出来ます。町並みは近代建材により建替えが進んでいますが、白壁の店蔵や町屋建築、長屋門風の町屋などが点在しています。

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