大田原市(歴史)概要: 大田原市は古くから中央と繋がりがあった地域で日本三大古碑の一つに数えられている那須国造碑が発掘された付近には上侍塚古墳や下侍塚古墳など大型古墳が密集しています。平安時代末期から那須氏の支配下となり大田原市内には、那須神社、法輪寺、福原八幡宮、玄性寺、伝法寺など那須氏縁の神社仏閣が見られます。南北朝時代になると那須氏の家臣である大田原氏や大関氏、福原氏が力を付け主家の家督争いに乗じて独立、小田原の役にも参陣し豊臣政権下で領土安堵されます。
関ヶ原の戦いにおいても東軍に加わりそれぞれ大田原藩、黒羽藩を立藩し、福原氏も4500石の大身旗本として明治維新を迎えています。又、大田原市中心部は城下町であると同時に奥州街道の宿場町としても重要視され多くの物資が運び込まれ市場町としても発展しました。黒羽町も同様に城下町として行政の中心と同時に那珂川舟運の最終河港町として商業が発達しています。戊辰戦争では新政府側に付いた為、奥羽列藩同盟側に攻撃を受け大きな被害を出してます。
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