金燈籠(大田原市)概要: 金燈籠の初代は文政2年(1819)10月吉日に大田原城の城下の住民達(町年寄:岡本角左衛門・町名主:津久井新助・釜屋新三郎・世話人:田代屋孫兵衛など勇志38人)が道中安全と町内安全を祈願して上町十字路に建立されました。製作者は鹿沼出身の鋳工で、常夜灯として住民だけでなく奥州街道を利用した旅人や商人達にも有難い存在でした。建設地は街道の結束点(交差点)でもあった為、道標としても機能し台座には正面には「上町」、右側には「白川」、左側には「江戸」と刻まれました。しかし、太平洋戦争が末期になると資源(金属)が不足となり「金属回収運動」により軍に摂取されます。2代目(文政6年:1823年建立、高さ:124cm・幅:70cm・厚:70cm)は昭和30年(1955)7月に旧三斗小屋宿から形式が近似していたことから譲渡され、破損した1対のものを良い部分だけを繋ぎ合わせ修復し建立されました。その後、交通量が増えると車との接触た衝突などで破損し十字路の片隅に放置された状態となり昭和53年(1978)8月に那須塩原市(旧黒磯市)に返却されました。現在の金燈籠は昭和54年(1979)8月吉日に初代のものを踏襲した形で再建されたもので、ここでも地元商店街が尽力しています。
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