大田原市: 那須国造碑

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概要・歴史・観光・見所
那須国造碑(大田原市)概要: 那須国造碑は大田原市湯津上に位置しています。那須国造碑那須国造碑は西暦700年に当時の那須国造であった那須直葦堤の業績を称える為、息子の意志麻呂らによって建立されたもので多賀城碑(国指定重要文化財:宮城県多賀城市)、多胡碑(国指定特別史跡:群馬県高崎市吉井町)と並ぶ日本三大古碑の一つに数えられています。石碑は花崗岩を加工したもので高さは148p、19字×8行の152字の碑文が刻み込まれ、書体は中国の六朝時代の書風と類似している点があることから朝鮮半島の新羅から渡米してきた人々の影響によるものだと推察されています。その後、長い間地中に埋もれていましたが延宝4年(1676)に旅の憎である円順が発見、その話を円順から聞いた武茂郷小口村の村長、大金重貞が独自に調べ上げ「那須記」を編纂し水戸藩2代藩主徳川光圀に献上しました。光圀は大変興味を持ち、石碑の保護と管理する笠石神社(那須国造碑が御神体)を建立し、石碑との関係を調査する為に上侍塚古墳(那須地方最大の前方後円墳、国指定史跡)下侍塚古墳(国指定史跡)の発掘を命じています。その際、重貞と共に尽力したのが「水戸黄門」で「助さん」のモデルになったとされる佐々介三郎宗淳で光圀から直接指示を受けたと云われています。那須国造碑は当地方の歴史を知る極めて貴重な資料である事から昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

那須国造碑:写真

国造碑
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