大田原市: 大雄寺

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概要・歴史・観光・見所
大雄寺(大田原市)概要: 黒羽山大雄寺は栃木県大田原市黒羽田町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。大雄寺の創建は応永11年(1404)余瀬村に開山されたのが始まりとされます。歴代の領主だった大関氏の菩提寺として堂宇の造営や寺領の寄進など庇護され応永33年(1426)の兵火で焼失すると文安5年(1448)には当時の当主大関忠増が堂宇の再建と境内の整備を行っています。天正4年(1576)に大関高増が余瀬村にあった白旗城から黒羽城へ居城を移したことで大雄寺も現在地に移され、その際、先代大関増次を中興開基、在室玄隣大和尚を中興開山とし寺号を黒羽山久遠院大雄寺に改称しています(増次の戒名「久遠院殿超山道宗大居士」から)。大関氏は江戸時代に入っても1万8千石が認められ黒羽藩を立藩、大雄寺も引き続き大関氏の菩提寺として認められた為、藩を挙げて庇護されました。

大雄寺は現在地に移ってからは大きな火災等が少なかった為、仏像や絵画、経文、古文書など数多くの寺宝が残され文化財にも指定されています。堂宇も江戸時代中期に再建された古建築物で、本堂、禅堂、庫裏、鐘楼、総門、廻廊、御霊屋、経蔵など多くが茅葺屋根の中世の禅宗様を踏襲しています。絹本著色釈迦涅槃図は江戸時代初期の延宝8年(1680)に神田安衛が寄進したもので、縦295.0cm、横254.0cm、軸装、左近入道徳永作、現在も2月25日の涅槃会で法要、昭和45年(1970)に栃木県指定文化財に指定されています。

絹本淡彩広凌観瀾図は江戸時代後期に臨川亭主人が施主となり小泉斐(下野国芳賀郡益子(現在の栃木県芳賀郡益子町)出身、江戸時代後期の画家、鎮国社宮司)が描いたもので、縦157.0cm、横70.0cm、軸装、小泉斐の代表作として貴重な事から昭和45年(1970)に栃木県指定文化財に指定されています。大雄寺境内は広く苔むした参道や歴代領主だった大関氏の墓碑は歴史を感じさせます。山号:黒羽山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来坐像。

【 大雄寺菩提者:大関家 】-大雄寺を菩提寺とする大関家は桓武平氏大掾流・小栗氏の後裔とされる小栗七郎が常陸国小栗御厨庄大関郷を領した事から地名に因み大関氏を称したの始まりとされ、跡を継いだ大関高清を大関家の祖としてます。又、一説には武蔵七党(横山党、児玉党、猪俣党、村山党、野与党、丹党、西党)の丹党の後裔が武蔵国児玉郡大関村を領し大関氏を名乗ったとも云われています。足利尊氏と弟である足利直義との対立である「観応の擾乱(貞和5年:1349年〜観応3年:1352年)」では尊氏方に属し、その功により下野国那須郡内の松野郷、大桶郷を与えられ那須地方へ進出の切っ掛けとなっています。

その後は那須家の重臣として重用され那須七党(那須7騎)に数えられるなど次第に勢力を広げました。戦国時代に入ると、主家である那須家を凌ぐ勢力となり度々独立を画策しますが、逆に那須七党の1つである大田原資清に天文11年(1542)大敗し、当主を資清の長男高増を迎えた事で血筋としては大関家は滅びた事になります。大関家の名跡を継いだ高増は本拠を黒羽城に移しする那須家家中の中では最大勢力となり、天正18年(1590)の小田原の役では逸早く小田原参陣を果し、念願だった那須家から独立し高増に1万石、息子である晴増に3千石が安堵され1万3千石の大名家となり、逆に那須家は参陣出来なかった事から改易(その後復権)となっています。

跡を継いだ弟の資増は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで東軍方に与して上杉景勝に備えた為、7千石が加増され合計2万石で黒羽藩を立藩、初代藩主となっています。4代藩主増親は弟である増栄、増君に1千石づつ分与した為、1万8千石となりました。15代藩主増裕は藩校である作新館の開校や軍び近代化など行った名君だったとされ幕政においては海軍奉行や若年寄などを歴任しています。戊辰戦争の際には最後の藩主となった増勤が新政府軍に与し、東北各地に転戦し功を挙げ永世賞典禄1万5千石を贈与されています。

大雄寺(大田原市)は大関家歴代の菩提寺で天正4年(1576)に高増によって現在地に移され中興開山しています。寺号である「黒羽山久遠院大雄寺」は先代で血筋からすると大関家最後の当主となった増次の戒名「久遠院殿超山道宗大居士」に因んでいます。大雄寺境内には歴代大関家の墓碑(大田原市指定史跡)、大雄寺本堂(栃木県指定重要文化財)には位牌が安置、紙本著色大関美作守高増画像(大田原市指定文化財)など大関家縁の品々を多数所有しています。

大雄寺の文化財
・ 本堂-江戸中期,寄棟,茅葺,桁行12間,梁間8間-国指定重要文化財
・ 御霊屋-江戸中期,桁行6間,梁間3間,大関氏累代位牌安置-国指定重要文化財
・ 庫裏-江戸中期,入母屋,茅葺,城主の控えの間-国指定重要文化財
・ 座禅堂-江戸中期,寄棟,茅葺,内部中央に須弥壇,土間式-国指定重要文化財
・ 総門-江戸中期,寄棟,茅葺,左右に回廊-国指定重要文化財
・ 回廊-江戸中期,切妻,茅葺,丸太,土間は粘土叩き-国指定重要文化財
・ 鐘楼-江戸中期,入母屋,茅葺−国指定重要文化財
・ 経蔵-享和3年(1803),土蔵,宝形,銅板葺-国指定重要文化財
・ 絹本著色釈迦涅槃図-延宝8年(1680),神田安衛寄進-栃木県指定重要文化財
・ 絹本淡彩広凌観瀾図-江戸時代後期,小泉檀山斐作-栃木県指定重要文化財
・ 木版紙本著色五百羅漢像-江戸時代-栃木県指定重要文化財
・ 紙本墨画楊柳観音像-文化3年(1806),小泉檀山斐作-栃木県指定重要文化財
・ 木造釈迦如来坐像-鎌倉時代-栃木県指定重要文化財
・ 木造釈迦如来坐像-室町時代-栃木県指定重要文化財
・ 木版一切経-211函,続蔵150函,4500巻-栃木県指定重要文化財
・ 紙本著色大関美作守高増画像-大田原市指定有形文化財
・ 板絵著色十六羅漢図-大田原市指定有形文化財
・ 不動明王尊像-大田原市指定有形文化財
・ 紙本著色黒羽城郭(居館)の図-大田原市指定有形文化財
・ 大関氏代々墓地-五輪塔・宝篋印塔-大田原市指定史跡

大雄寺:写真

大雄寺の石段と総門
[ 付近地図:栃木県大田原市黒羽町 ]・[ 大田原市:歴史・観光・見所 ]
大雄寺境内に設けられた茅葺屋根の山門 大雄寺山門から見た境内 大雄寺の中心的な役割を持つ本堂 大雄寺に勤めている僧侶達の生活の場である庫裏
大雄寺に時を告げる鐘楼と梵鐘 大雄寺の聖域を囲う茅葺の回廊 大雄寺が所有する経典を所蔵する経堂 大雄寺を菩提寺とした大関家の霊域


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