宇都宮市: 二荒山神社

  栃木県:歴史・観光・見所宇都宮市:歴史・観光・見所>二荒山神社

概要・歴史・観光・見所
二荒山神社(宇都宮市)概要: 二荒山神社は栃木県宇都宮市馬場通り一丁目に鎮座している神社です。二荒山神社の創建は仁徳天皇41年(353)、当時の下野国の国造孫奈良別王が祖神である豊城入彦命(崇神天皇の第一皇子、毛野国に下向し開発に尽力)と大物主命、事代主命の分霊を荒尾崎(現在下之宮が鎮座)に勧請したのが始まりとされます。貞和5年(838)に現在地(臼ヶ峰)に遷座され、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳にも「下野国河内郡一座大二荒山神社大明神」として記載され名神大社に列していました(諸説有り、日光に鎮座する日光二荒山神社とも)。藤原秀郷は平将門の乱(935年〜940年)の戦勝祈願した際、神剣が授けられ、その剣の御加護で将門を討ったと伝えられ、前九年合戦、後三年合戦の際は源頼義、義家父子、源平合戦の際は源頼朝が戦勝祈願に訪れています。

長く当地を支配した宇都宮氏の祖である藤原宗円は下野国の守護と同時に二荒山神社の別当職の座主だったとされ、後裔も下野国一宮として篤く庇護し明応9年(1498)には当時の当主宇都宮成綱によって社殿が造営されています。戦国時代の天正13年(1585)の北條氏直の宇都宮侵攻や、慶長2年(1597)の宇都宮国綱の改易などで荒廃しますが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際に徳川家康が戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から神意に感謝し慶長10年(1605)には社殿の造営が行われ、以降は宇都宮藩が作事奉行を務め歴代藩主から崇敬庇護され社領1千5百石が安堵されています。

近世に入っても安永2年(1774)、天保3年(1832)と火災が続きその都度再建されましたが、幕末に行われた戊辰戦争でも激戦の1つである宇都宮城攻防戦(慶応4年:1868)の兵火により城下の大部分が焼失し、二荒山神社の社殿も新政府軍の攻撃により大きな被害を受けています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が排除され明治4年(1871)に一端、国幣中社に列したものの明治6年(1873)に県社に降格、明治16年(1883)に改めて国幣中社に列しています。

現在の二荒山神社社殿は明治10年(1877)に再建されたもので拝殿は入母屋、銅板葺、正面向拝付、本殿は三間社神明造、銅板葺。神門(神社山門)は切妻、銅板葺、正面背面軒唐破風、一間一戸、四脚門、袖塀付。社宝である三十八間星兜と鉄製狛犬が国認定重要美術品に指定され、毎年1月28日、5月28日、9月28日の例祭で奉納される「二荒山神社の神楽」が昭和44年(1969)に宇都宮市指定無形民俗文化財に指定されています。祭神:豊城入彦命。配神:大物主命、事代主命。

二荒山神社の文化財
・ 三十八間星兜-南北朝-高約18p,口径約21p重量約2s-国指定重要美品
・ 鉄製狛犬-鎌倉時代-鋳鉄製,高さ約36p,重さ約22s-国指定重要美術品
・ 太刀(拵付 銘:法城寺和泉守橘正次)-長さ71.5p-栃木県指定文化財
・ 新式和歌集−宇都宮市指定文化財
・ 本殿勾欄擬宝珠ー宇都宮市指定文化財
・ 三十六歌仙額−宇都宮市指定文化財

二荒山神社:写真

二荒山神社参道石段から見上げた神門と玉垣
[ 付近地図: 栃木県宇都宮市 ]・[ 宇都宮市:歴史・観光・見所 ]
二荒山神社神門から見た境内 二荒山神社石畳みから見た拝殿と石造狛犬と銅製燈篭 二荒山神社本殿と幣殿と透塀 二荒山神社例祭で神楽が奉納される神楽殿
二荒山神社拝殿右斜め前方と銅製天水桶 二荒山神社神楽殿正面と石碑 二荒山神社境内から見た神門と手水舎 二荒山神社境内社の社殿群


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「栃木県:歴史・観光・見所」は「栃木県の歴史」、「郷土資料辞典−栃木県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。