瀧澤家住宅(さくら市氏家町)概要: 瀧澤家は明治時代紡績業を営み豪商となった家柄で第四十一銀行の設立や那須野が原の開拓などにも尽力を尽くしました。現在の宅邸は明治25年(1892)に新築、増築され明治天皇の休息所として使用されたもので鐵竹堂、蔵座敷、長屋門が平成10年(1998)に栃木県指定有形文化財に指定されています。明治25年(1892)、当地域で陸軍大演習が行われ明治天皇が行幸になる事が計画されると、当時の当主瀧澤喜平治が貴族院議員だった事もあり自宅が御休息所に指定され、急いで施設の整備が行われました。
鐵竹堂は木造平屋建、入母屋、桁行7間、梁間6間半、明治天皇の休息所として使用された場所で床の間や違い棚、付書院などが備え付けられた格式の高いものです。長屋門は入母屋、桟瓦葺、桁行8間半、梁間2間半、当地方最大規模を誇り左右に小部屋を設け武者窓を設けるなどの格式があり飾り金具には菊花が使われていることから明治天皇行幸を意識した意匠となっています。座敷蔵は2階建ての土蔵の屋根上に洋風の望楼を載せたもので切妻(土蔵)、桟瓦葺、桁行4間半、梁間4間、上部が半円形の窓や洋風の手摺などが設えて異彩を放っています。望楼を載せた建物は当時、多数存在していましたが、現在栃木県内では殆ど見られず貴重なものとされます。
長屋門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-栃木県教育委員会・さくら市教育委員会
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