佐野藩概要: 佐野領は豊臣政権下で3万9千石を安堵された佐野氏が支配していましたが、居城である唐沢山城が"江戸俯瞰"を理由に廃城となり慶長12年(1607)に新たに佐野城を築き新たに城下町の整備を行いました。しかし、慶長19年(1614)に突然改易(諸説ありますが、実の兄である伊予宇和島藩主 富田信高が改易となり連座した説が有力。)となり松本へ配流されました(後に旗本として再興。)。その後、天領、彦根藩、古河藩などに分割され、貞享元年(1684)に堀田正高(大老堀田正俊の次男)が1万石で堀田本家から分家して改めて佐野藩を立藩します。元禄11年(1698)に近江堅田に配置転換の為廃藩となりますが文政9年(1826)に堀田正敦が1万6千石で佐野に戻り、再び佐野藩を立藩します。この時、佐野城には入らず植野に陣屋を構え領内の中心地として領内に整備します。堀田氏は正衡、正頌と続き明治維新を迎えます。
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佐野藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 佐野信吉 | 1600〜1613 | 3万9千石 | |
初代 | 堀田正高 | 1684〜1698 | 1万石 | |
初代 | 堀田正敦 | 1826〜1832 | 1万6千石 | |
2代 | 堀田正衡 | 1832〜1854 | 1万6千石 | |
3代 | 堀田正頌 | 1854〜1871 | 1万6千石 | |
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