喜連川藩概要: 天正18年(1590)足利家の断絶を惜しんだ豊臣秀吉が古河公方(足利尊氏の次男基氏を祖とする鎌倉公方系統)5代足利義氏の娘と足利義明(古河公方4代足利高基の実弟)の孫国朝を婚姻させる事で足利家を再興、喜連川領3千5百石の領主にしました。国朝はこれを機に喜連川氏を称し周辺を支配、関が原の合戦では東西どちら側にも兵を出さず中立を保ちましたが、戦後すぐさま徳川家に使者を送り戦勝祝いを行った事で領地が安堵されます。徳川家は江戸幕府を開く際、朝廷から"源氏長者"(幕府を開く為、作為的に家系図や出生地などを改ざん説がある。)を賜った事で源氏の一族である喜連川家は保護対象となり、1千石の加増の上10万石の格式が与えられ、1万石以下にも関わらず例外的に喜連川藩を立藩しました。慶安元年(1648)派閥争いから藩主喜連川尊信が幽閉される"喜連川騒動"が起こりましたが改易にはならず12代に渡り喜連川氏が藩主を勤め明治維新を迎えています。又、明治元年(1868)に藩主聡氏は足利姓に復してその後子爵に列せられています。
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喜連川藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 喜連川頼氏 | 1593〜1630 | 5千石 | |
2代 | 喜連川尊信 | 1630〜1648 | 5千石 | |
3代 | 喜連川昭氏 | 1648〜1713 | 5千石 | |
4代 | 喜連川氏春 | 1713〜1721 | 5千石 | |
5代 | 喜連川茂氏 | 1721〜1757 | 5千石 | |
6代 | 喜連川氏連 | 1757〜1762 | 5千石 | |
7代 | 喜連川恵氏 | 1762〜1789 | 5千石 | |
8代 | 喜連川彭氏 | 1789〜1830 | 5千石 | |
9代 | 喜連川煕氏 | 1830〜1861 | 5千石 | |
10代 | 喜連川宜氏 | 1861〜1862 | 5千石 | |
11代 | 喜連川縄氏 | 1862〜1869 | 5千石 | |
12代 | 足利聡氏 | 1869〜1870 | 5千石 | |
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