佐野東照宮

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概要・歴史・観光・見所
佐野東照宮(惣宗寺)概要: 東照宮は栃木県佐野市金井上町(惣宗寺境内)に鎮座している神社です。元和2年(1616)、徳川家康が死去すると、遺言により遺骸は久能山(現在の静岡県静岡市)に埋葬、葬儀は増上寺(現在の東京都港区)で執行、位牌は大樹寺(現在の愛知県岡崎市)に安置、1年後に日光に小社を設けて御霊を勧請することが決められました。

遺言通りとすれば日光には家康の遺骸はないはずですが、久能山の家康の遺骸から御霊を棺に遷す儀式を天海大僧正が一人で行った為、棺の中を確認した第三者はいないそうです。さらに天海は「あれハある奈け連ハ奈ひ尓駿河なるく能奈き神の宮遷し哉」という、遺骸があるともないともとれるような謎の歌を残しています。惣宗寺に着いたのは元和3年(1617)3月28日、惣宗寺が霊柩の宿泊所に選定されたのは、当時の住職である13世三海が天海の高弟だった事が大きな要因と推察され、天海は三海に対して権力を駆使し強引に僧正成に推薦し、三海が病気により惣宗寺の住職を隠居すると、惣宗寺の門徒や檀那に対して後任の住職が決まるまで管理するように命じています。

惣宗寺に霊柩が到着すると境内周辺を千人の武士により警護され、内部には僧侶が集められ盛大な法要が執り行われたとされ、その参加を拒否した佐野家縁の4ヵ寺は廃寺に追い込まれています。当地は藤原秀郷の後裔の一族とされる佐野氏が国人領主として長く当地を支配し、江戸時代初期には3万9千石の大名として認められ佐野藩の藩主となっていましたが、慶長19年(1614)に理不尽な理由で改易となり、代わって元和2年(1616)に小山藩の藩主本多正純が佐野領の加増を受けました。正純は惣宗寺の境内に霊柩の為に御殿を造営し、その御殿に東照大権現(家康の御霊)の分霊が勧請され佐野東照宮が創建されています。以後、家康縁の霊地として幕府から庇護され、文政11年(1828)これらの古事から東照宮が建立されます。

佐野東照宮社殿は日光東照宮栃木県日光市)を模したものとされ、建物細部には精巧な彫刻が施され、極彩色で彩られています。本殿は一間社、入母屋造、正面背面に千鳥破風、向拝の柱、梁共に龍の彫刻が施されています。佐野東照宮拝殿は入母屋、銅瓦棒葺、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、内部には狩野洞益(江戸時代後期の画家)による唐獅子が描かれています。唐門は銅瓦棒葺、細部には龍や波、植物を模した彫刻が施され極彩色で彩られています。佐野東照宮の本殿、拝殿、透塀、唐門は江戸時代後期に建てられた社殿建築の遺構で歴史的背景や意匠にも優れていることから昭和57年(1982)に栃木県指定重要文化財に指定されています。

佐野東照宮(社殿・神門):写真

東照宮
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