出流原弁財天

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概要・歴史・観光・見所
出流原弁財天(佐野市)概要: 出流原弁財天の創建は平安時代の天暦2年(948)、平将門の乱を平定した藤原秀郷が勧請したのが始まりと伝えられています。ただし、眼下に出流原弁天池(栃木県指定天然記念物・日本名水百選)が広がり弁天堂の背後の岩肌に形成された風欠(風が通り抜ける洞窟)からは四季を通じて冷風な吹いていた事から古くから自然崇拝的なものがあったのかも知れません。古くから神仏習合し現在でも鳥居と山門(入母屋、桟瓦葺、三間一戸、建物の下を参道が通る神社の古形式の長床と類似)が混在して当時のの形式を踏襲しています。高台の崖地に築かれた弁天堂は朱色に塗られた三層の懸造り、入母屋、銅瓦棒葺、桁行3間、梁間3間、は印象的で存在感があります。佐野七福神:弁財天。

出流原弁財天の境内にある芭蕉句碑は寛政5年(1793)8月に建立されたもので「 此あたり 目に見ゆるもの 皆涼し 」が刻まれています。この句は貞亨5年(1688年)6月8日に松尾芭蕉が岐阜にある油商賀島善右衛門の別邸で詠んだもので、この別邸(十八楼)が長良川を見渡せる場所にあった事から、涼しげな風景が広がっていたと思われます。長良川の風景と出流原弁天池の風景が重なると感じたのでしょうか。又、朝日長者伝説や人麻呂、雨乞いの舞台でもあり興味深いところです。

懸造を簡単に説明した動画

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-環境省・栃木県

出流原弁財天:写真

出流原弁財天
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