日光市(歴史)概要: 日光市の歴史は古く天平神護2年(766)勝道上人が四本竜寺を創建した時に始まるといわれています。その後、上人は男体山山頂に二荒山神社奥宮を建立し、麓には中宮祠、神宮寺(中禅寺)を開き日光山の祖を築くと信仰の聖地として多くの修験僧が入山するようになりました。弘法大師空海や慈覚大師円仁など高僧も来山したされ広域に信仰が広がり、時の権力者や領主などに崇敬、帰依され政治的にも利用されました。
中世に入ると神仏混合が進み日光三所権現信仰と呼ばれる独特な宗教形態になったとされ、「男体山=男体権現=千手観音」、「女峰山=女体権現=阿弥陀如来」、「太郎山=太郎権現=馬頭観音」としてそれぞれを渾然一体として信仰されるようになりました。この頃が日光山の最盛期とされ寺社領は周辺六十六郷(日光・足尾・今市・藤原・栗山・鹿沼・粟野・宇都宮)に及び大きな影響力があったと云われています。
江戸時代に入った元和3年(1617)に江戸幕府初代将軍徳川家康を祀る東照大権現が勧請され、さらに、寛永13年(1636)には三代将軍家光によって「寛永の大造替」が行なわれ現在に見られるような日光山の姿になりました。日光東照宮は幕府の威光であり権威の象徴でもあった為、政治的にも利用され朝廷からは例幣使が毎年参拝に訪れ、将軍や諸大名なども日光に詣でを恒例としたので門前町や宿場町として発達し日光街道や日光例幣使街道などが整備されました。
明治時代に入ると庇護者を失い、更に神仏分離令による「日光二社一寺」にまとめられたことで一時衰退しますが、文化的価値が非常に高く、歴史的、文化的意義や多くの国宝や重要文化財があることで「日光山内」として国指定史跡を受け、近年では「日光の社寺」として世界遺産に登録され 日光市は多くの観光客を受け入れています。
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