二荒山神社中宮祠

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概要・歴史・観光・見所
二荒山神社中宮祠(日光市)概要: 二荒山神社の創建は天応2年(782)勝道上人男体山頂に社殿(現在の奥宮)を建立したのが始まりと伝えられています。延暦3年(784)に参拝が困難な事から麓に中宮祠を建立、以後本宮の遥拝所として発展し、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている名神大社で下野国一之宮、関東総鎮守として広く信仰されました。二荒山神社は最初に二荒山(日光山=男体山)の遥拝所として現在の本宮神社の境内付近に祠(後の本社)が設けられ、その後、勝道上人が二荒山の登頂に成功した事で山頂に祠(後の奥宮)が建立、最後に登拝口となる現在に中宮祠が創建されました。同時期に創建された別当寺院(神宮寺)である補陀洛山中禅寺とは関係が深く当社も「中禅寺権現」とも呼ばれました。

「二荒山碑」や「補陀洛山建立修行日記」、「中禅寺私記」によると、勝道上人は延暦3年(784)に弟子である道珍らと中禅寺湖を舟で巡り、湖畔に神宮精舎を創建し中禅寺を名付け、その隣に権現(日光山権現・※後の二荒山神社中宮祠)の社殿を建てた事が記載されています。勝道上人は中禅寺で4年間修行した後、延暦7年(788)に湖の北岸に、さらに南岸に遷り五大尊堂を建立し、しばらく湖上に浮かぶ小島で暮らしたそうです。中宮祠と中禅寺は正に神仏習合し、中宮祠には二荒山の祭神である大巳貴命(大国主命)が祭られ、中禅寺にはその本地仏である千手観音(十一面千手観音・国指定重要文化財)が安置されました。

古くから中禅寺と神仏習合し「男体中宮」、「男体権現」、「中禅寺権現」などとも呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により独立しています。明治11年(1888)にはイギリス人女性紀行家イザベラバードが訪れ、明治35年(1902)に大規模な山崩れが発生し中禅寺側の境内が土砂により中禅寺に押し流され壊滅的な被害を受けています。中宮祠は奇跡的にも被害が少なく、江戸時代中期に造営された社殿群が残されています。現在の本殿(三間社流造)、拝殿(五×四間)、中門、掖門は元禄14年(1701)に再建されたもので、室町時代の様式を残すものとして国重要文化財に指定され、世界遺産に登録されています。又、女人禁制だった事でも知られ、巫女が誤って境内に入り石化したと伝わる巫女石があります。

二荒山神社中宮祠の文化財
・ 本殿-元禄14年,三間社流造,銅瓦葺-国指定重要文化財
・ 拝殿-元禄14年,入母屋,銅瓦葺,桁行5間,梁間4間-国指定重要文化財
・ 中門-元禄14年,切妻,銅瓦葺,四脚門-国指定重要文化財
・ 掖門及び透塀-元禄14年,猿頭付銅板葺,碗木門-国指定重要文化財
・ 鳥居(3基)−青銅製−国指定重要文化財
・ イチイ-推定樹齢1100年,樹高18m,幹周4.2m-栃木県指定天然記念物
・ イチイ-推定樹齢300年,樹高19.5m,幹周3.9m-栃木県指定天然記念物
・ 刀 銘(表)河内大掾藤原国定・(裏)奥州会津住-貞享3年-栃木県指定文化財
・ 太刀 無銘−南北朝〜室町時代−栃木県指定文化財
・ 黒漆革蛭巻太刀拵−室町時代−栃木県指定文化財
・ 黒漆革蛭巻鱗文付太刀拵−南北朝〜室町時代−栃木県指定文化財

二荒山神社中宮祠(社殿・神門):写真

二荒山神社中宮祠
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