平家塚(湯西川温泉)概要: 寿永4年(1185)、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家一門の1部(伝承によると平家重盛の6男である平忠実が宇都宮朝綱を便り下野国に身を潜めていたが源氏側の引渡し要求が厳しくなり鶏頂山に逃れたとされます。正式な歴史書である「吾妻鏡」では平貞能が朝綱を擁護した事が記載されています。)が身を潜めながら鶏頂山(栃木県日光市:標高1765m、日本三百名山)に辿り付きました。其の時、跡取りの男児が生まれ、その泣き声や喜びの声、登り旗を上げた事で鶏が驚き一斉に鳴き始めた為、源氏の追っ手に見つかりさらに湯西川まで落ち延びました(現在でも湯西川温泉では鳴き声をあげる鶏を飼ってはならないという風習が残っているそうです。)。生き残った一族は湯西川を土着の地と定めると甲冑や、刀剣、平家の証を塚の下に埋めたと伝えられています。以来、「平家塚」と名付け、一族によって密かに祭祀が続けられ、現在は平家の里の園内に平家塚の姿を見る事ができます。
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