正福寺(那須町伊王野)概要: 補陀落山正福寺は平安時代初期の弘仁4年(813)に徳一上人によって創建されたと伝わる寺院です。徳一上人は当時、名僧と言われた日本天台宗の開祖である伝教大師や真言宗の開祖である弘法大師空海との討論を繰り広げた法相宗の僧侶で、特に北関東から南東北地方に縁の寺院が存在しています。その後、正福寺は室町時代初期に宥印法印が中興開山し真言宗に改宗しています。当初は釈迦堂山に境内を構えていましたが、長享元年(1487)に伊王野氏の居城となる伊王野城(霞ヶ城)が築かれると、霞ヶ城以前の伊王野氏居館に境内を移しています。江戸時代に入ると、伊王野氏が旧居館跡に境内を移した為、正福寺は一時離れましたが、伊王野氏が断絶し陣屋が配されると再び戻ってきています。昭和3年(1928)に伊王野小学校の校庭拡張に伴い現在地に移転しています。
正福寺には寺宝が多く、鰐口は室町時代初期の応永6年(1399)に住職と思われる栄尊の発願で伊王野氏の家臣と思われる熊窪八郎が大旦那となり大工彦太郎が制作したもので、青銅製、直径23.6p、厚:肩部5.0cm、唇部4.3cm、重さ、3.5kg、制作年や発願者、大旦那が明確で保存状態も良く貴重な事から平成2年(1990)に栃木県指定文化財に指定されています。弘法大師御影図は大師高弟である真如法親王が描いたものを礼拝を目的として模写したもので、同じく寺宝である五大力菩薩画像と共に那須町指定文化財に指定されています。又、境内にある推定樹齢200年の百日紅は那須町の名木に指定されています。那須三十三観音霊場第5番札所(札所本尊:聖観世音菩薩 ・御詠歌:おもかげに たつ観世音 春は花 秋は紅葉の 補陀落の山)。山号:補陀落山。宗派:真言宗智山派。本尊:聖観世音菩薩 。
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