弘法大師堂(西明寺)概要: 西明寺弘法大師堂は江戸時代中期に大願主で世話人となった当村出身の飯塚新左エ門、小口幸三郎、小口定吉、大塚博助が中心となり弘法大師八十八ヶ所霊場として建てられたもので(実際には31躯・中尊の台座に銘)、木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、桁行2間、梁間1間、外壁は正面は吹き放し、残り三方は真壁造り素木板張り。内部には3方に台が設けられ、その上に石造弘法大師像が安置、中尊は仏師が彫刻し、残りの30躯は近郷の信徒で世話役の思いに応じ浄財を奉納したものが自分で弘法大師像を制作したものと推定されています。堂内には目標だった88躯が安置出来るよう計画されていた為、残りの57躯が安置出来るような空きが残され、内壁一面に千社札が張られ信仰の篤さが窺えます。大師堂建築として益子町唯一の江戸時代中期の御堂建築で、当時の民間信仰の資料としても貴重な事から平成4年(1992)に益子町指定文化財に指定されています。
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