松尾芭蕉宿泊地(那須温泉)概要: 案内板によると「 松尾芭蕉(46歳)が、弟子の河合曾良を伴い「奥の細道」の途中、元禄2年(西暦1689)6月4日高久の里より湯元へ向かい、湯元の五左衛門方に2泊ほどしましたが、この地が宿泊地跡です。" 湯を結ぶ 誓いも同じ 石清水 芭蕉 " 那須町商工会湯本支部 」とあります。芭蕉は特に殺生石(九尾の狐が玉藻前という絶世の美人の姿を変え鳥羽上皇に取り入り朝廷を混乱させた。素性が明らかになると殺害され当地に殺生石となり封じ込められましたが、尚、毒気を噴出し周辺住民に悪事を働いた為、玄翁和尚により破砕された。)に興味があったようで五左衛門に案内を頼み那須温泉の守護神を祀る那須温泉神社と殺生石を見学し「湯を結ぶ 誓いも同じ 石清水」、「いしの香や なつ草あかく 露あつし」の句を残しています(この2つの句は所謂「奥の細道」での出典では無く、弟子の曾良によって編纂された「曾良旅日記」の出典で、那須町高久の庄屋覚左衛門宅に宿泊した際は「落ち来るや 高久の宿の 郭公」の句も残しています)。
|