那須温泉神社

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概要・歴史・観光・見所
那須温泉神社概要: 那須温泉神社は栃木県那須郡那須町湯本に鎮座している神社です。那須温泉神社の創建は舒明天皇年間(629〜641年)に狩野三郎行広が近くの村々で悪行を働いた大白鹿を追って山中に迷い込み、白髪の老人から"今、大鹿が温泉に入っているのでそこを狙い打ちなさい。"と告げられ念願成就したことから、先程の老人が温泉神だと悟りこの地に祀ったのが始まりとされます。以来、周辺住民だけでなく朝廷にも崇敬され奈良時代の天平10年(738)には朝廷の役人が那須温泉に湯治に訪れた際、那須温泉神社に参拝した事が記録に残っています。格式も高く貞観11年(864)には従四位勲五等を賜り、延長5年(927)にまとめた延喜式神名帳に式内社として記載されている下野国11社にも名を連ねています(延喜式神名帳に記載されている全国の神社の中でも温泉を号するものは10社しか無い事から温泉地としても歴史が古い事が分かります)。

中世は那須家の崇敬社となり、文治元年(1185)には那須与一が那須温泉神社に的的中の祈願をして見事、矢で扇を射て功を上げています(源平合戦の屋島の戦いで平家の船に掲げた扇を馬上から弓矢で打ち落とし源氏武者の誉れをあげたとされます。与一が矢を放つ瞬間に唱えた「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現宇都宮、那須の湯前大明神、願わくばあの扇の真ん中射させ給え」の那須の湯前大明神は那須温泉神社の事とされます)。建久4年(1193)には鎌倉幕府初代将軍源頼朝が那須野ヶ原一帯で巻狩を行った際、小山朝政(下野国寒河御厨(小山庄)を本貫地とする鎌倉幕府御家人)が射止めた九岐大鹿を奉納しています。

江戸時代に入ると黒羽藩(藩庁:黒羽城)の藩主大関家(旧那須家家臣)の崇敬社となり社領20石が寄進されています。又、元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥の細道行脚の際この地を訪れて那須温泉神社の参拝や殺生石の見物などを行い" 湯をむすぶ 近いも同じ 岩清水 "の句を詠み、「那須の温泉神社の相殿に八幡宮を移し奉り両神一方に拝まれ給う」と記載しています。

現在の那須温泉神社本殿は江戸時代初期慶長12年(1607)に那須資晴(那須家21代当主)が再建したもので一間社流造、金属板葺き。拝殿は昭和60年(1985)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、間口3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。境内にあるミズナラは推定樹齢800年、樹高18m、幹周4m、名称「生きる」、那須温泉神社の御神木として信仰の対象になっているようです。拝殿近くにある五葉松は那須資景(那須資晴の子供、那須家22代当主)が5千石の加増を受け御家再興を果たした事に感謝し植樹されたもので、推定樹齢800年、樹高12m、幹周1.7m、貴重な事から平成6年(1994)に那須の名木に、平成2年(1989)に栃木の名木百選に選定されています。祭神は大己貴命、少彦名命、相殿は誉田別命。

那須温泉神社:社殿・境内・写真

那須温泉神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
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那須温泉神社参道石畳みから見た石鳥居 那須温泉神社参道の石段と玉垣 那須温泉神社境内から見た拝殿正面と石燈篭 那須温泉神社境内に生えるミズナラの大木


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