那須温泉: 教傳地獄

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概要・歴史・観光・見所
教傳地獄(那須温泉)概要: 教傳地獄の由来は文保2年(1318)頃、奥州白河五箇村にあった蓮華寺に"教傅"という手の付けられない悪童が預けられたそうです。教傅は行いが改善されぬまま大人になり28歳になると住職となり実母と寺で住むようになりました。元亨元年(1336)の時、教傅は友人達を連れ添って那須温泉に遊興しようとした朝、旅支度が出来ていない事に腹を立て母親の出した朝食を足蹴にしてしまいます。教傅は那須温泉に着き殺生石を見学に来たところ、急に雷鳴が轟き、地割れから溶岩が流れ出し、友人達は逃げましたが教傅は金縛りにあったように硬直し飲み込こまれてしまいました。誰しも教傅の悪行、親不幸に天罰が下ったと悟り、後の享保5年(1720)に地蔵を建立し親不孝のいましめとし信仰の対象としました。現在も荒涼とした風景は地獄を思わせ、当初は1体だった地蔵尊像も何時しか千体地蔵と呼ばれる程数多くの石仏が奉納、寄進されました。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-那須町観光商工課・那須町観光協会

教傳地獄:写真

教傳地獄
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