鶴亀の池(浄土庭園)概要: 鶴亀の池は建久3年(1192)に宇都宮家3代当主宇都宮朝綱が創建した一村山尾羽寺の浄土庭園として作庭された池の一部とされます。浄土庭園とは特に平安時代から鎌倉時代に発展した庭園形式の1つで、当時流行った浄土信仰や末法思想の根幹にある極楽浄土を具体的に表現しています。西方極楽浄土は阿弥陀如来が住む世界でもある為、尾羽寺の本堂にあたる阿弥陀堂が中心に配され、その正面(南方)に広大な池(現在の鶴亀の池)、太陽が昇る東方には鎮守社である綱神社、太陽が沈む西方には宇都宮家累代の墓と源頼朝が寄進したと伝わる多宝塔が設けられていました。
尾羽寺は中世から戦国時代まで当地を治めた大名である宇都宮家の菩提寺として大きく繁栄しましたが、慶長2年(1597)に22代宇都宮国綱が豊臣家から不快をかい改易となり、その後は衰微したと思われ、江戸時代中期から後期にかけて、寺号を地蔵院に改め再興したか、又は元々あった地蔵院と合併しています。
現在の地蔵院の本堂は尾羽寺の阿弥陀堂(本堂)だった建物で、旧本尊だと思われる阿弥陀三尊像が2組残され、本堂は国指定文化財、阿弥陀三尊像は何れも栃木県指定文化財に指定されています。尾羽寺の旧境内は荒廃し、庭園の池は一部が埋め立てられ、残った部分は田圃として利用されていましたが、近年調査が行われ、残された池の部分を鶴亀の池として整備されました。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-益子町・益子町教育委員会
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